<ECLIPSE>

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永遠に変わらない Happy End
バレエ『眠れる森の美女』

「長い長い眠りについていたお姫さまは、王子さまのキスで目を覚ましました」

夢の終わりは、いつもハッピーエンドだ。私が小さいときから変わらない。たぶんもっと前からずっと変わらない。眠り姫、シンデレラ、その他一連の物語。

一年生の時にこういう類の物語のレポートを書いた。シンデレラは世界的に普遍的な物語で、しかし登場する小道具にその地域の特色があらわれているとか、異類婚姻譚の終わりがハッピーエンドなのかそうでないのかの違いとか。結論は、そういった相違は見られるが、めいめいの物語に秘められた人々の願いは変わりません。長い間語り継がれてきたそれらの物語には、人間の、人類の普遍的な日常と、魂が込められています。

きっと私は、物語の共通点とか普遍性を見出して、「ほら、人類皆兄弟です。様々な違いありといえども、皆本質的には同じ人間です。」と言いたかったんじゃない。だから争うのはよくないことだとか、宗教や国の境を越えるべきだとか、共感し合うべきだとか― いくら人間をmassで考えてみてもそこには光が見出せない ― 言いたかったんじゃない。


では何を言いたかったのか?何を伝えるべきだったのか。

「世界平和」:人類が皆幸せでありますように Love & Peace
幸せって、そういうことなのか?愛ってそういうことなのか?もしこの地上に愛が存在するのならば、なぜ世界はこんなにも醜いのだろう。身近なものを愛で、大切にし、共に生きるということ。嘘だ。それが愛することならば、その愛は可能なのか。

一の中に千を見る、千の中に一を見る


欺瞞?・・・よく分からない。まだ分からない。
ただ、涙が出た。

| 未分類 | 00:10 | トラックバック:0コメント:0
'Pathetique- Adagio cantabile' Beethoven




すこし頭のたりないエピメテウスは、パンドラにせがまれて、とうとうふたをすこしあけた。とたんに病気、憎しみ、ぬすみなどのあらゆる悪が、箱から飛び出して人間の世界に飛びちった。パンドラも、さすがにこわくなって、あわててふたをしめた。すると、中から弱々しい声で、
「わたしも外に出してください」と呼ぶ声がした。
 パンドラはおそるおそるきいてみた。
「おまえはだれ?」



「わたし、希望よ」というやさしい声が箱の中からきこえた。











| 未分類 | 23:32 | トラックバック:0コメント:0
季節はずれの花を束ねて



あなたに、おくります。
あなたが見守ってくれているということ
それで十分で
だけど必要で

私は強くなれる




| 未分類 | 01:44 | トラックバック:0コメント:0
必要 ⇔ 無関心



帰り道で、迷った。私はどこへ帰っていくのだろう?
車のライトに照らされたアスファルトを見て、大袈裟によくないことを考えた。そんなことはできないと分かっているのに。そのときふいに浮かんだ陳腐で愛しい思い― 「私が欠けたら困るじゃん。」発表会のためのコンテで、私がいなくなったら?誰かがふりを覚えて、埋めるんだろうか。それともいないままやるんだろうか。いや― 

生に対する安直さって、こういうことじゃないかなと思った。人間は必要とされているということ。私にはあなたが必要です、と伝えること。だから私は、生きるということ。それはとてもシンプルな感覚だった。評価とか、賞賛とか、特別とかそういうことじゃない。ただ、必要だということ。それはやむを得ないということでもない。重要だとか、大切だとか、それを越えて、必要だということ。
| 未分類 | 01:10 | トラックバック:0コメント:0
「かなわないなあ」
放棄するほどの、立派な素材をもっていない
見た目も、思想も、才能も
ないものねだりの幼子のように
だだをこねる
それすらできないで
情けない自分に また痛む

光るもの 強いもの 美しいもの
ずっと憧れていた
大地の暖かさでも 街のコンクリートでも
蜃気楼を探して
さまよって

嫉妬、欲望、羨望、
真っすぐなものに対する憧れ
永遠に錆びることのない
何か



・そんなことで傷つくようなプライドなら、捨ててしまえ。

・私にはどうやったって「カリスマ性」みたいなものがないことに気が付いた。第三者を惹きつけて慰安する能力はない。リーダーになることはできても、カリスマにはなれない。「副」で「補佐」をするのに向いている。

・正体を明かす―?だから、隠さなくちゃならないものにたいした意味なんてないんだってば。

・いい文章が書けないからって、人の目を気にして、止めるな。物事を続けるのがいつも難しいのなら、続ける。

・結局、「負け犬」?根本が揺らいでるんじゃないってことは知ってる。表面だ、きっと表面が揺れてるんだ。ゆらゆら、船酔いだ。感じていることに身をまかせないで、突っ立って「考える。」意味のあること、ないこと、本質的なこと?かっこいいこと、無粋なこと、「いき」なこと。スマートに生きること?

・素直になりたい、素直になりたい。明るい根元を立て直して、しっかり土に根を張りたい。あのひととわたしはちがう。わたしとこのひともちがう。「それでいい」と笑え。

・優れているものを、敬うこころ、その繋がりの中で、ほっとしたいこころ。そうか、帰れる場所がないんだ。へつらうんじゃない、卑屈になるんでもない。       何と闘ってるの―?おもむろに張り合おうとして忘れた「かなわないなあ」の一言。

| 未分類 | 17:21 | トラックバック:0コメント:2
自分に実感がなければ、人の心はつかめない。
自分の魂からほとばしり出て、
力強く切々と語るのでなければ、
聴く者すべての心は動かせない。
いつも机にへばりついて、のりと鋏でつぎはぎし、
他人の残飯でごった煮をこしらえ、
灰をかき集めて
貧弱な火をおこしても、
いくら高望みをしたところで、
子供や猿をびっくりさせるのが関の山。
心の底から出たものでなければ、
決して心から心へ伝わるはずがない。

古文書などというものが、
永遠に乾きを鎮めてくれる神聖な泉だろうか。
自分自身の魂から湧き出したものでなければ、
君の渇きを癒すことはできない。


― Goethe

| 未分類 | 15:01 | トラックバック:0コメント:0
話―聞



・明け方、浅い眠りの中で体が震えるのを感じた。まただ。夢の中に現れたのは、なんだかよく分からないけど脅迫と恐怖に満ちた空白に追いかけられてる私。スタンダールが言った。

「魂がつまらないことに恥辱を感じ、それに打ち勝つのに専心するなら、快楽を感じることはできない。快楽はひとつの贅沢である。それを楽しむためには、安全感が必要であり、おびやかされてはならない。」

・孤独であることと、頑ななこと― たぶん、私はこれを履き違えている。誰に話しても解決しない内部の問題。どうやっても触れられず、自分ひとりで背負うことが定められているめいめいの運命。それと、誰にも何も打ち明けないこととはきっと関係がない。ただ聞いてくれるひとが欲しい、ただそばで泣かせてくれるひとが欲しいというのが、人間の正直な欲求ではないか?だとしたら、私は自分がそうではないからと言って、その弱さを人に押し付けて、人も自分も苦しめている大馬鹿者だ。

・どんな人の話も、真剣に丁寧に聞く。「聞く」ことこそコミュニケーションの要だから、私は人の話を聞こうと思った。エンデの『モモ』だ。何かもやもやしていて、相談したいひとは、解決策を求めてモモのところへやってくるのじゃない。誰かに命令して欲しくて話すのじゃない。「ただ聞いて」欲しい― 現代は皆聞いて欲しい症候群だ。このブログだってつまるところそうじゃない?アドバイスしてもらいたいときも確かにあるし、常にそういうひともいる。でもこの日常生活の憂鬱は― 「聞いてもらう」という単純なことで、健全な哲学に向かえるような気がする。

・ああ、きっと私が痛いのは、ただコミュニケーションを拒否されることにあるんじゃない。「お前の話は聞く気がない」っていう信号を読み取っているからなんだ。それでなんとか聞いてもらおうとして、難しい言葉で、一貫性のある話をする。一生懸命「考え」て、つじつまが合うように、退屈じゃないように、拒否されないように話す。そういう話をするのも、もっと他愛ない話をするのも、どちらも私なんだろうけど― 「余計なことはしすぎるほどいいよ」と、「無駄」をスローガンにしてた私はどこにいったんだろう。

・「本質的なこと」なんて、考えれば考えるほど本質的じゃなくなる。
| 未分類 | 14:36 | トラックバック:0コメント:0
階段
花がみなしぼむように、
青春が老いに屈するように、
一生の各階段も知恵も徳もみな、その時々に
花を開くのであって、永続は許されない。
生の呼び声を聞くごとに、心は、
勇敢に、悲しまずに、
新しい別な束縛に入るように、
別れと再開の覚悟をしなければならない。
およそ事の初めには不思議な力が宿っている。
それがわれわれを守り、生きるよすがとなる。

われわれは空間を次々と朗らかに闊歩せねばならない。
どの場所にも、故郷に対するような執着をもってはならない。
宇宙の精神はわれわれをとらえようとも狭めようともせず、
われわれを一段一段高め広めようとする。
ある生活圏に根をおろし、
居心地よく住み着いてしまうと、弾力を失いやすい。
発足と旅の覚悟のできているものだけが、
習慣のまひ作用から脱却するだろう。

臨終のときも、なおわれわれを新たな空間へ向け
若々しく送ることがあるかもしれない。
われわれに呼びかける生の呼び声は、決して終わることはないだろう
では、よし、心よ、別れを告げ、すこやかになれ!


― Hermann Hesse
| 未分類 | 05:09 | トラックバック:0コメント:2
『不滅』 Milan Kundera
―ノヴァーリスは三十歳に達しなかったが、しかしその若さにもかかわらず、たぶん、彼に霊感を吹き込んだものといえば、ただもう死、魂を奪う甘美な死、詩というアルコールに変換された死だけだった。誰しもすべて遥か遠くのほうへ、生の極限のほうへ、そして彼方、非=存在の無限性のほうへ手を差し伸べながら、超越のなかで、自己の止揚の中で生きていた。前に私が言ったように、死がどこにあろうとも、その伴侶である不滅は死とともにあり、そしてロマン派のひとびとは厚かましくも死に親しげに話しかけていた。ベッティーナがゲーテに親しげに話しかけていたのとまったく同じように。

―「あなたがじっと閉じこもっていらっしゃれるかどうか、<善>の精神なのか、それとも『ファウスト』の鼠のように<悪>の精神なのか見たいと思うわ。最高の優れた精神、あたくしの最良の友でもある優れた精神が、毎日まだぐこの敷居にあたしは接吻し、祝福します」

それでゲーテはどうしたか?引用した手紙にしたがえば、彼はこう明言したという。

「ここから出るためと言って、あなたを踏みつけにしたりはしませんよ。あなたのこともあなたの愛も。あなたの愛はわたしにはあまりに貴重すぎるからな。あなたの才気についてとなると、わたしはそのまわりをそろりそろり動くだけだ、なにしろあなたは頭がよく働きすぎるし、あなたとは仲良く生きていくほうがよろしいから」
| 未分類 | 04:39 | トラックバック:0コメント:0
きみは生きて呼吸してたに過ぎないんだ
十五分間に千回もためいきをつき
一生かかってたった一回叫んだ
それでこの世が何か変わったか?
なんてそんな大ゲサな問いはやめるよ
真夜中にぬるいビールの一カンと
奇跡的にしっけてないクラッカーの一箱が
ぼくらの失望と希望そのものさ

そして曰く言い難いものは
ただひとつだけ
それがぼくらの死後にあるのか生前に
あるのかそれさえわからない

魂と運命がこすれあって音をたてたら
もうぼくにも擬声語しか残ってないよ
でも活字になるんじゃ
呻くのだって無駄か

ぼくは目をつむって
どんな幻影も浮かばぬことがむしろ誇りだ
その事の怖ろしさに
いつか泣き喚くとしても


― 谷川俊太郎

| 未分類 | 04:11 | トラックバック:0コメント:0
『百万回生きた猫』
やがて、子ねこたちは 大きくなって、それぞれ どこかへ いきました。「あいつらも りっぱな のらねこに なったなあ。」と、ねこは まんぞくして いいました。
「ええ。」と、白いねこは いいました。そして、グルグルと、やさしく のどを ならしました。白いねこは、すこし おばあさんに なっていました。ねこは、いっそう やさしく、グルグルと のどを ならしました。
ねこは、白いねこと いっしょに、いつまでも 生きていたいと 思いました。

ある日、白いねこは、ねこのとなりで、しずかに うごかなく なっていました。ねこは、はじめて なきました。夜になって、朝になって、また 夜になって、朝になって、ねこは 100万回も なきました。
朝になって、夜になって、ある日の お昼に、ねこはなきやみました。ねこは、白いねこの となりで、しずかに うごかなくなりました。


ねこは もう、けっして 生きかえりませんでした
| 未分類 | 03:54 | トラックバック:0コメント:0
『小さなちいさな王様』
―「年をとるにつれて、夢がどんどん巨大になっていくのか・・・。そして、いつしかその夢の中で暮らすようになって、箱から箱へのぼったりおりたりして、やたらに巨大な想像の中をさまようようになるんだね」僕は、ひとりごとのようにつぶやいた。

「そんなふうにできているのか、きみたちのところでは」

「おれたちのところでは、な」
王様はうなずいた。

「きみたちのところ・・・か」
僕はため息をついた。


―小さな王様は、いつか僕にこう言ったことがある。
「お前はなんだって、壁の向こう側をわざわざ見ようなどと思うのかね?どうなっているのか知りたいのなら、想像してみればいいじゃないか。ゆっくり落ち着いて、目を閉じてだな、その向こうの世界を自分で思い描いてみればいいのだ。おまえだって、子どものころは、それがあたりまえのようにできたのだぞ、両目を開けたままでもな。もう、やりかたを覚えていないのかね?どうして忘れてしまったのかね?」

| 未分類 | 03:47 | トラックバック:0コメント:0
The Little Prince
The little prince also uprooted, a little sadly, the last baobab shoots. He believed he would never be coming back. But all these familiar tasks seemed very sweet to him on this last morning. And when he watered the flower one last time, and put her under glass, he felt like crying.

"Good-bye," he said to the flower.
But she did not answer him.
"Good-bye,"he repeated. The flower coughed.
But not because she had a cold.
"I've been silly," she told him at last. "I ask your forgiveness. Try to be happy."
He was surprised that there were no reproaches. He stood there, quite bewildered, holding the glass bell in midair. He failed to understand this calm sweetness.
"Of course I love you," the flower told him.
"It was my fault you never knew. It doesn't matter. But you were just as silly as I was. Try to be happy... Put that glass down. I don't want it anymore."
| 未分類 | 03:33 | トラックバック:0コメント:0
『大きな木』
―『自由からの逃走』(Escape from Freedom 1941)の著者、エーリッヒ・フロムが、かつて愛を論じたとき(『愛するということ』The Art of Loving 1956)、「愛とは第一に与えることであって、受け取ることではない」と主張したのを、記憶している人も多かろう。これこそ、この物語に貫流する中心的な思想なのである。しかし、「与える」とはなにか。なにかを断念することか、奪われることか。あるいは喪失することか。いや、そうではないとフロムは言う。「与える」ことは人間の能力の最高の表現なのであり、「与える」という行為においてこそ、人は自分の生命の力や富や喜びを経験することになる、と考える。

一本のりんごの木は、この主張そのままに、ひとりのともだちに、自分の肉体を削って、木の葉を与え、果実を与え、枝を与え、幹を与え、すべてを与える。母性愛さながらに―。・・・すなわち、エーリッヒ・フロム同様、シルヴァスタインにとっても、「与える」ことは、あふれるような生命の充実を意味しているのであって、犠牲的喪失を意味しなかった。こうして、一箇の切株になっても、なお「与える」ことを忘れないリンゴの木に、言い知れぬ感動があるなら、その感動こそ、「犠牲」ならぬ真の「愛」のもたらすものにほかならないのである。
| 未分類 | 03:22 | トラックバック:0コメント:0
神様
明晰な頭脳も 綺麗な姿形もいらない
読書も 運動も 
お与えくださらなくて結構です

ただひとつ
暖かいこころ
人を愛し 愛される力

私はただそれだけが欲しい

冷たい夜に
凍え死んでしまわないように
この心は冷たすぎる

素直さ、ただまっすぐであること
歪まないように 歪まないように生きてきたはずなのに



苦しすぎる。きっと何か仕事とか、社会的にどうしてもやらなくちゃいけないことがあるほうが向いてるんだ。こんな状態では。磁石みたいに離れられない人に、すぐ助けを求めようとする。でも知ってる。みんな人間なんだってこと。どうしてこうなんだろう。自分で決めたことすら守れない。孤独、絶望、無気力、劣等感と羨望のかたまり。「欲しければ、手に入れればいいのに」楽観的な私がそう言ってるのが聞こえる。だけどね、手に入らないものもいろいろあるんだよ。哲学書を読まないようにしよう。今夜は・・・何を読んだらいいだろう。朝になって、セミと鳥が鳴きだして、光が差し込むまで。

眠れないのは、死ねないのと同じだ。安楽が訪れてくれない。どんなに大声で叫んだって、救ってくれない。ああ、神様お願いだから、涙の跡が乾く頃には眠らせてください。もう考えたくないんです。もう考えたくない。





| 未分類 | 02:16 | トラックバック:0コメント:0
歪曲
『「甘え」の構造』を再読した。リストのピアノ小品集を聴きながら引用。

― これは一般的に言って、人間を人間とも思わずあたかも物のように見なす場合であるが、・・・人を食ったり、呑んだり、またなめたりしている者は、威勢はよさそうに見えるが、しかし内面は孤立無援なのである。彼らは本当は甘えを超越しているのではなく、むしろ甘えの欠損をカバーするために、このような行動に出ると考えられる。

― 被害者意識を持つ人間はただ個人的に被害感を持つばかりでなく、被圧迫民族・困窮者・精神病者など被害者一般と同一化している。彼らはまさに甘えられないから被害者なのであるが、それでいて被害者としての立場に甘えている。

― 天皇に限らず日本の社会ですべて上に立つ者は、周囲からいわば盛り立てられなければならないという事実が存在するが、これも同じような原則を暗示するものである。いいかえれば、幼児的依存を純粋に体言できるものこそ日本の社会で上に立つ資格があることになる。素直ということが古来最高の美徳としてもてはやされていることは、この点を裏書きするものと言えるであろう。


欠陥があるのは私のほうなのだろうか?適度な依存。
「寂しがり屋です、本当は強がっているだけなんです、誰か助けて、守って、甘えさせてください」
皮肉の裏に潜む羨望は克服されなければならない。
どちらが不可能なのだろう?
傷口は開いたままだ。
歪む心― 24時間以内には回復する。
| 未分類 | 20:21 | トラックバック:0コメント:0
JYRO



「独楽」
  
如何なる慈愛
如何なる孤独によっても
お前は立ちつくすことが出来ぬ
お前が立つのは
お前がむなしく
お前のまわりをまわっているときだ

しかし
お前がむなしく そのまわりを まわり
如何なるめまい
如何なるお前の vieを追い越したことか
そして 更に今もなお
それによって 誰が
そのありあまる無聊を耐えていることか

― 高野喜久雄

| 未分類 | 13:22 | トラックバック:0コメント:1
IN MY LIFE
知人・友人には誰にも伝えてなかったけど、このブログの存在を明かすことにしようと決めた。ある友人がいつか言った。「隠さなければいけないものに、たいした価値はない。」よければ足跡残してください。


そしてYへ・・・

IN MY LIFE / ☆

ほこりをかぶっていたCD
ビートルズを久しぶりに聴くよ

明日という日が
まっさらな可能性にあふれている
その予感に生きていた頃

醜いものを見た
哀しい音色を聞いた
誰かを愛しすぎた今でも
偽りはありませんか

やがて
悲しみは雨に流れ
思い出は日に焼けるだろう

ただ過ぎ去った時だけが
僕らを強くする

昨日よりも今日 今日よりも明日




トラックが変わった
美しい孤独を愛する君に
このうたを贈ろうか

No.320 2005/05/04(Wed) 18:21

もう一度、あなたに贈ります。
| 未分類 | 01:01 | トラックバック:0コメント:0
苦痛と快楽
苦痛と快楽― この境界線は、人間がそれを感じたいか感じたくないかにある。昨日は苦痛だったことが快楽になり、快楽だったことが苦痛になる、そんなことはしょちゅうあるだろう。すべてのことは、きっとどちらでもない。ただ、あるだけだ。

ああ、短い文章を書きたい。何か説明しようとすると長くなるのは小さい頃からの悪い癖だ。とても短いか、とても長いか。ちょうどいい分量で書けない。それに感情もあっちにいったりこっちに来たりする。もっと悪いのは記憶力が低下したらしくて自分が言ったこととか、書こうとしてることを忘れてしまうことだ。でも自分が馬鹿だってことは忘れてないこの切なさ。

| 未分類 | 23:39 | トラックバック:0コメント:0
限界と可能性について身体から
昨日は高校時代の部活の飲み会だったから、それに関連して身体の話を書こうと思っていたのに、違うことを書いてしまった。というのも帰りの電車の中でなぜか突然蝶のイメージが浮かんだからなんだ。「突然」脈絡のないことが自分の思考に表れることがよくある。探していなかったのに、前に失くしたものが突然ついでに見つかる感じだ。

高校時代は機械体操部に入っていた。サッカーとか野球とかバスケットボールに比べればかなりレアな部活に違いない。だいたい機械体操の器具はどれも高価で、有名なところでなければなかなか買ってもらえないから器具が古い。それでも体育の授業で「マット運動」とか「跳び箱」があるからそういうものはそろっている。私の高校では、人数は少ないながらもずっと体操部が続いてきたので器具はちゃんと一式あった。

体操部というと、あの『タッチ』の南ちゃんがやってるのと間違われることがよくあるけれど、あれは新体操だ。新体操は手具といって手に何かをもって演技する種目で、体操は器具は使うけれど実際に演技するのは自分の体一つのみ。私は団体競技とか、ボールとか何か使ってする運動より個人競技で自分の体しか使わない運動が好きだ。走るだけ、とか跳ぶだけ、とか 笑。その単純さがいい。だから小学生のときは新体操をやっていたけれど、中学になって始めた器械体操の方が合っていたんだと思う。

器械体操は試合だけ見ればとても華やかな競技だ。友人たちにもよくあんなことできるね、と驚かれた。しかし、どんな競技でも同じだが、体操でたった1分半の演技をするために地道な練習をじっと重ねる。体の線から、踏み切りのタイミング、着地の位置など、完璧な演技をするには非常に繊細な感覚が要求される。頭で考えて何かするということができない。体がそれを覚えてしまうまで、何度も何度も繰り返す。体操はとてもストイックな競技だと思う。そういうストイックさから生まれる人間の身体、その演技はとても美しい。

そう、体操に限らず、運動している人間は美しい。流動する身体、人間の身体の可能性を極限まで高めようとする意思。それはプロに限らず、自分の体をコントロールし何かをするという行為はどんなひとも美しく見せる。その頂点にあるアスリートたちは勿論、近所のプールで泳いでいるおばちゃんを見てもそう思う。いちいちそんなことを考えて運動している人はいないかも知れないけど、身体の可能性を最大まで高める行為は、よく言われるように「自分との闘い」ではなくて、「人間への闘い」であるように思われる。楽しさと目標とかそういったこととは別の次元で、実際にそういうことが主眼であったとしても、根本的に運動は日常的な他の行為― の延長線上にあるというか繋がっており、同一のものだと思うのだ。

ここで物心二元論を持ち出して、それがつまるところは精神への闘いなんだと結論づけたら、全然面白くない。身体に頼るのでもなく、無視するのでもなく、個の人間の身体を自分のものとして捕らえることが大切なのではないだろうか。つまり、それは「人間の限界」と「自分の限界」を知ることだ。精神の限界ではなく(そんなの分からない)、物質としての人間の身体の限界。限界を知ること=可能性を探求すること。ここで重要なのは、限界は固定するものではなく、自分が現時点できることを現実的に見極めるということだ。そして、将来に向けての可能性を探り続けていくことである。

限界と可能性をよく心得ているひとは非常にバランスがいい。そういう人間は、滑稽な夢想ではなく強く希望的な未来を描ける。それは現実を把握し、次に何をしたらいいのか、自分がどうしたらいいのか知っているからだ。無謀なことに飛び込んで潰れてしまうこともないし、かといって堅実になりすぎて小さくまとまることもない。本当にその人に合った生き方をしているような気がする。私は、このバランスを身につけるのには身体を媒介するのがいいと思っている。なぜなら、思考だけで限界と可能性を知ろうとする試みは危険であり、現実を見失いがちだからだ。ユートピアの失敗にも暗にそれが関わっているのではないかと推測している。

類は友を呼ぶのかどうか知らないが、大学の友人には考えが煮詰まって悶々とするタイプが多くて、そんな時はとにかく歩くことをすすめている。運動が嫌いなひとでもできるし、「歩く」のはとても基本的な動作だと思うから。特に自分の進路を決めたり、高校生だとテストの前とか、何かやらなければいけないことがあるのにできず、嫌悪感と焦りだけが募っていくような時期に、そういう人間は不機嫌になってふさぎこみがちだ。けれど、停滞している考えにいつまでもはまっているよりも、とにかく体を動かすことを何かしたほうがいい。ツァラトストラだって長い散歩をしに出たではないか・・・ってそれは嘘かな 笑。
| 未分類 | 22:26 | トラックバック:0コメント:0
ぬけがら
とても好きだったひとに、蝶を模ったネックレスをもらったことがある。クリスマス近くの寒い日で、冬の空気に飛び立つ季節外れの蝶は、正直私みたいだと思った。そのときはとても幸せで、もう独りでいなくていいんだと暖かい気持ちでいっぱいで・・・彼が似合うと言ってくれたその薄紫の蝶のように、空も飛べると思った。

ああ、今気が付いたけど、「好きだったひと」と過去形にしたのは無意識にも私は彼から離れたんだろう。これでいい。実際、恋愛と言っても恋と愛の違いは分からないけど、私はきっと彼に恋してはいたけれど、愛してはいなかったのだと思う。それはもしかしたら、自分が可愛いだけの自己満足的な恋愛であったのかもしれないし、一方では、自分への強い嫌悪を露呈させるような恋愛であったかも知れない。こうやって、自分の視点からしか見られないところがそもそも私の傲慢で冷たいところなんだろうな。

彼と私は似すぎていたから― 常に自分を見ているようで嫌だった。そんなことは言わなかったし、基本的に恋愛の駆け引きとか、男女の違いとか、相性の厳密な見極めとか、そういう話を真剣にしたいとは全然思わないし、お互いに妥協点を探るよりも、離れるほうが簡単だ。何かを止めるのはいつも簡単で、何かを続けるのはいつも難しい。次第に、彼に向ける言葉は無くなってしまい、いつも飲み込むような形でどんどん悪化した。それも、相性が悪かったと言えば簡単なこと。だけどきっと私は間違った反応をし続けていたんだと思う。女らしさに欠ける?冷たい?

「負けて勝つ、これが恋愛のコツです」小さいところでは折れて、実質は指導権を握る。これが女性へのいいアドバイスらしい。・・・と、ここで私は私の思考を書き出せなくなる。なぜか?それすら書けない。言えることは、とにかく私は愛し上手でも愛され上手でもなくて、だけどこれからも「恋愛」していいくんだろうということだけだ。夫婦はひとつのユニットで、きっと暖かくて、楽しくて、素晴らしいものなんだろうから。そういう可能性もある。けれども、私はきっとひとりでユニットになろうとしてきたから、「ふたり」の状態に対応できないだけだ。補完、完成体、ふたりで一人前― ああ、なんて不完全な幻想を築くために、人間は結びつくんだろう。誰かによりかかったり、よりかかられたり・・・こう話したら、母は「あなたはまだ若いからよ」と笑って言うだろうか。

プラトンの『饗宴』、たけどきっと分裂を免れた人間もいたはずだ。そういう人間は独りで生きて、最も深いところでは寄りかかる存在を必要としないために、― そう、もっと軽やかな安らぎを求める。重苦しくなく、悦楽の極みであるような強い喜びではなく、もっと振幅の小さい、積み重ねるような喜び。日常生活にいて、共に生きると決めたひとと楽しめるような時間と空間。そういうものを欲する。

というわけで、似たような人間がふたりいては息苦しいのだ。だけど先のことは何も分からないから、無理やり何か選んで決め付けることもない。何もかも、変わっていくのだから。彼との関係がこじれたときに、終わりにしようと思って(この白黒つけたがる性質は問題だなあ)あの蝶のネックレスをどこかにしまって、どこにしまったのか分からなくなってしまったときがあった。なんとなくそれが見つかったらもとに戻れるような気がして、探して、そして見つけた。でもたぶん、すでに抜け殻で・・・春になって、どこかに飛んでいってしまったあの蝶は二度と帰らない。今でもどこかであの綺麗な羽を動かしてる。冬の間眠っていた私の胸に、その抜け殻を残して。
| 未分類 | 00:37 | トラックバック:0コメント:2
「夏の夜の夢」―
今を生きている楽しさ。たとえこの人生が、喜劇であろうと悲劇であろうと、今この瞬間の、心のすべての動揺を受け止める。先は何も分からない。この曖昧な状態にある心地よさ。先が見えないのは、いいことだ。私は直線を歩いてはいないのだ。

「まるで夢を見ていたような。」「何もかもが二重に見えて・・・。」二重どころか何重にも見えるこの世界が、私を楽しませてくれる。たくさんの極と極の間の「揺れ」がもしなかったら、この世界はどんなにつまらなくなるだろう?人間は行ったり来たりしながら、円を描く。

― 人は、ひとつの円だ。中心は至る所にある。
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PROFILE

☆
☆Author: 久美子
生まれ変わるなら、星か鳥になりたいと思う。
地上に「愛」が存在するならば、すべてを愛し、すべてに愛されたい。
命の灯をともして、日食の闇に、うごめく。



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