<ECLIPSE>

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苦痛と快楽
苦痛と快楽― この境界線は、人間がそれを感じたいか感じたくないかにある。昨日は苦痛だったことが快楽になり、快楽だったことが苦痛になる、そんなことはしょちゅうあるだろう。すべてのことは、きっとどちらでもない。ただ、あるだけだ。

ああ、短い文章を書きたい。何か説明しようとすると長くなるのは小さい頃からの悪い癖だ。とても短いか、とても長いか。ちょうどいい分量で書けない。それに感情もあっちにいったりこっちに来たりする。もっと悪いのは記憶力が低下したらしくて自分が言ったこととか、書こうとしてることを忘れてしまうことだ。でも自分が馬鹿だってことは忘れてないこの切なさ。

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| 未分類 | 23:39 | トラックバック:0コメント:0
限界と可能性について身体から
昨日は高校時代の部活の飲み会だったから、それに関連して身体の話を書こうと思っていたのに、違うことを書いてしまった。というのも帰りの電車の中でなぜか突然蝶のイメージが浮かんだからなんだ。「突然」脈絡のないことが自分の思考に表れることがよくある。探していなかったのに、前に失くしたものが突然ついでに見つかる感じだ。

高校時代は機械体操部に入っていた。サッカーとか野球とかバスケットボールに比べればかなりレアな部活に違いない。だいたい機械体操の器具はどれも高価で、有名なところでなければなかなか買ってもらえないから器具が古い。それでも体育の授業で「マット運動」とか「跳び箱」があるからそういうものはそろっている。私の高校では、人数は少ないながらもずっと体操部が続いてきたので器具はちゃんと一式あった。

体操部というと、あの『タッチ』の南ちゃんがやってるのと間違われることがよくあるけれど、あれは新体操だ。新体操は手具といって手に何かをもって演技する種目で、体操は器具は使うけれど実際に演技するのは自分の体一つのみ。私は団体競技とか、ボールとか何か使ってする運動より個人競技で自分の体しか使わない運動が好きだ。走るだけ、とか跳ぶだけ、とか 笑。その単純さがいい。だから小学生のときは新体操をやっていたけれど、中学になって始めた器械体操の方が合っていたんだと思う。

器械体操は試合だけ見ればとても華やかな競技だ。友人たちにもよくあんなことできるね、と驚かれた。しかし、どんな競技でも同じだが、体操でたった1分半の演技をするために地道な練習をじっと重ねる。体の線から、踏み切りのタイミング、着地の位置など、完璧な演技をするには非常に繊細な感覚が要求される。頭で考えて何かするということができない。体がそれを覚えてしまうまで、何度も何度も繰り返す。体操はとてもストイックな競技だと思う。そういうストイックさから生まれる人間の身体、その演技はとても美しい。

そう、体操に限らず、運動している人間は美しい。流動する身体、人間の身体の可能性を極限まで高めようとする意思。それはプロに限らず、自分の体をコントロールし何かをするという行為はどんなひとも美しく見せる。その頂点にあるアスリートたちは勿論、近所のプールで泳いでいるおばちゃんを見てもそう思う。いちいちそんなことを考えて運動している人はいないかも知れないけど、身体の可能性を最大まで高める行為は、よく言われるように「自分との闘い」ではなくて、「人間への闘い」であるように思われる。楽しさと目標とかそういったこととは別の次元で、実際にそういうことが主眼であったとしても、根本的に運動は日常的な他の行為― の延長線上にあるというか繋がっており、同一のものだと思うのだ。

ここで物心二元論を持ち出して、それがつまるところは精神への闘いなんだと結論づけたら、全然面白くない。身体に頼るのでもなく、無視するのでもなく、個の人間の身体を自分のものとして捕らえることが大切なのではないだろうか。つまり、それは「人間の限界」と「自分の限界」を知ることだ。精神の限界ではなく(そんなの分からない)、物質としての人間の身体の限界。限界を知ること=可能性を探求すること。ここで重要なのは、限界は固定するものではなく、自分が現時点できることを現実的に見極めるということだ。そして、将来に向けての可能性を探り続けていくことである。

限界と可能性をよく心得ているひとは非常にバランスがいい。そういう人間は、滑稽な夢想ではなく強く希望的な未来を描ける。それは現実を把握し、次に何をしたらいいのか、自分がどうしたらいいのか知っているからだ。無謀なことに飛び込んで潰れてしまうこともないし、かといって堅実になりすぎて小さくまとまることもない。本当にその人に合った生き方をしているような気がする。私は、このバランスを身につけるのには身体を媒介するのがいいと思っている。なぜなら、思考だけで限界と可能性を知ろうとする試みは危険であり、現実を見失いがちだからだ。ユートピアの失敗にも暗にそれが関わっているのではないかと推測している。

類は友を呼ぶのかどうか知らないが、大学の友人には考えが煮詰まって悶々とするタイプが多くて、そんな時はとにかく歩くことをすすめている。運動が嫌いなひとでもできるし、「歩く」のはとても基本的な動作だと思うから。特に自分の進路を決めたり、高校生だとテストの前とか、何かやらなければいけないことがあるのにできず、嫌悪感と焦りだけが募っていくような時期に、そういう人間は不機嫌になってふさぎこみがちだ。けれど、停滞している考えにいつまでもはまっているよりも、とにかく体を動かすことを何かしたほうがいい。ツァラトストラだって長い散歩をしに出たではないか・・・ってそれは嘘かな 笑。
| 未分類 | 22:26 | トラックバック:0コメント:0
ぬけがら
とても好きだったひとに、蝶を模ったネックレスをもらったことがある。クリスマス近くの寒い日で、冬の空気に飛び立つ季節外れの蝶は、正直私みたいだと思った。そのときはとても幸せで、もう独りでいなくていいんだと暖かい気持ちでいっぱいで・・・彼が似合うと言ってくれたその薄紫の蝶のように、空も飛べると思った。

ああ、今気が付いたけど、「好きだったひと」と過去形にしたのは無意識にも私は彼から離れたんだろう。これでいい。実際、恋愛と言っても恋と愛の違いは分からないけど、私はきっと彼に恋してはいたけれど、愛してはいなかったのだと思う。それはもしかしたら、自分が可愛いだけの自己満足的な恋愛であったのかもしれないし、一方では、自分への強い嫌悪を露呈させるような恋愛であったかも知れない。こうやって、自分の視点からしか見られないところがそもそも私の傲慢で冷たいところなんだろうな。

彼と私は似すぎていたから― 常に自分を見ているようで嫌だった。そんなことは言わなかったし、基本的に恋愛の駆け引きとか、男女の違いとか、相性の厳密な見極めとか、そういう話を真剣にしたいとは全然思わないし、お互いに妥協点を探るよりも、離れるほうが簡単だ。何かを止めるのはいつも簡単で、何かを続けるのはいつも難しい。次第に、彼に向ける言葉は無くなってしまい、いつも飲み込むような形でどんどん悪化した。それも、相性が悪かったと言えば簡単なこと。だけどきっと私は間違った反応をし続けていたんだと思う。女らしさに欠ける?冷たい?

「負けて勝つ、これが恋愛のコツです」小さいところでは折れて、実質は指導権を握る。これが女性へのいいアドバイスらしい。・・・と、ここで私は私の思考を書き出せなくなる。なぜか?それすら書けない。言えることは、とにかく私は愛し上手でも愛され上手でもなくて、だけどこれからも「恋愛」していいくんだろうということだけだ。夫婦はひとつのユニットで、きっと暖かくて、楽しくて、素晴らしいものなんだろうから。そういう可能性もある。けれども、私はきっとひとりでユニットになろうとしてきたから、「ふたり」の状態に対応できないだけだ。補完、完成体、ふたりで一人前― ああ、なんて不完全な幻想を築くために、人間は結びつくんだろう。誰かによりかかったり、よりかかられたり・・・こう話したら、母は「あなたはまだ若いからよ」と笑って言うだろうか。

プラトンの『饗宴』、たけどきっと分裂を免れた人間もいたはずだ。そういう人間は独りで生きて、最も深いところでは寄りかかる存在を必要としないために、― そう、もっと軽やかな安らぎを求める。重苦しくなく、悦楽の極みであるような強い喜びではなく、もっと振幅の小さい、積み重ねるような喜び。日常生活にいて、共に生きると決めたひとと楽しめるような時間と空間。そういうものを欲する。

というわけで、似たような人間がふたりいては息苦しいのだ。だけど先のことは何も分からないから、無理やり何か選んで決め付けることもない。何もかも、変わっていくのだから。彼との関係がこじれたときに、終わりにしようと思って(この白黒つけたがる性質は問題だなあ)あの蝶のネックレスをどこかにしまって、どこにしまったのか分からなくなってしまったときがあった。なんとなくそれが見つかったらもとに戻れるような気がして、探して、そして見つけた。でもたぶん、すでに抜け殻で・・・春になって、どこかに飛んでいってしまったあの蝶は二度と帰らない。今でもどこかであの綺麗な羽を動かしてる。冬の間眠っていた私の胸に、その抜け殻を残して。
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PROFILE

☆
☆Author: 久美子
生まれ変わるなら、星か鳥になりたいと思う。
地上に「愛」が存在するならば、すべてを愛し、すべてに愛されたい。
命の灯をともして、日食の闇に、うごめく。



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