<ECLIPSE>

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「かなわないなあ」
放棄するほどの、立派な素材をもっていない
見た目も、思想も、才能も
ないものねだりの幼子のように
だだをこねる
それすらできないで
情けない自分に また痛む

光るもの 強いもの 美しいもの
ずっと憧れていた
大地の暖かさでも 街のコンクリートでも
蜃気楼を探して
さまよって

嫉妬、欲望、羨望、
真っすぐなものに対する憧れ
永遠に錆びることのない
何か



・そんなことで傷つくようなプライドなら、捨ててしまえ。

・私にはどうやったって「カリスマ性」みたいなものがないことに気が付いた。第三者を惹きつけて慰安する能力はない。リーダーになることはできても、カリスマにはなれない。「副」で「補佐」をするのに向いている。

・正体を明かす―?だから、隠さなくちゃならないものにたいした意味なんてないんだってば。

・いい文章が書けないからって、人の目を気にして、止めるな。物事を続けるのがいつも難しいのなら、続ける。

・結局、「負け犬」?根本が揺らいでるんじゃないってことは知ってる。表面だ、きっと表面が揺れてるんだ。ゆらゆら、船酔いだ。感じていることに身をまかせないで、突っ立って「考える。」意味のあること、ないこと、本質的なこと?かっこいいこと、無粋なこと、「いき」なこと。スマートに生きること?

・素直になりたい、素直になりたい。明るい根元を立て直して、しっかり土に根を張りたい。あのひととわたしはちがう。わたしとこのひともちがう。「それでいい」と笑え。

・優れているものを、敬うこころ、その繋がりの中で、ほっとしたいこころ。そうか、帰れる場所がないんだ。へつらうんじゃない、卑屈になるんでもない。       何と闘ってるの―?おもむろに張り合おうとして忘れた「かなわないなあ」の一言。

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| 未分類 | 17:21 | トラックバック:0コメント:2
自分に実感がなければ、人の心はつかめない。
自分の魂からほとばしり出て、
力強く切々と語るのでなければ、
聴く者すべての心は動かせない。
いつも机にへばりついて、のりと鋏でつぎはぎし、
他人の残飯でごった煮をこしらえ、
灰をかき集めて
貧弱な火をおこしても、
いくら高望みをしたところで、
子供や猿をびっくりさせるのが関の山。
心の底から出たものでなければ、
決して心から心へ伝わるはずがない。

古文書などというものが、
永遠に乾きを鎮めてくれる神聖な泉だろうか。
自分自身の魂から湧き出したものでなければ、
君の渇きを癒すことはできない。


― Goethe

| 未分類 | 15:01 | トラックバック:0コメント:0
話―聞



・明け方、浅い眠りの中で体が震えるのを感じた。まただ。夢の中に現れたのは、なんだかよく分からないけど脅迫と恐怖に満ちた空白に追いかけられてる私。スタンダールが言った。

「魂がつまらないことに恥辱を感じ、それに打ち勝つのに専心するなら、快楽を感じることはできない。快楽はひとつの贅沢である。それを楽しむためには、安全感が必要であり、おびやかされてはならない。」

・孤独であることと、頑ななこと― たぶん、私はこれを履き違えている。誰に話しても解決しない内部の問題。どうやっても触れられず、自分ひとりで背負うことが定められているめいめいの運命。それと、誰にも何も打ち明けないこととはきっと関係がない。ただ聞いてくれるひとが欲しい、ただそばで泣かせてくれるひとが欲しいというのが、人間の正直な欲求ではないか?だとしたら、私は自分がそうではないからと言って、その弱さを人に押し付けて、人も自分も苦しめている大馬鹿者だ。

・どんな人の話も、真剣に丁寧に聞く。「聞く」ことこそコミュニケーションの要だから、私は人の話を聞こうと思った。エンデの『モモ』だ。何かもやもやしていて、相談したいひとは、解決策を求めてモモのところへやってくるのじゃない。誰かに命令して欲しくて話すのじゃない。「ただ聞いて」欲しい― 現代は皆聞いて欲しい症候群だ。このブログだってつまるところそうじゃない?アドバイスしてもらいたいときも確かにあるし、常にそういうひともいる。でもこの日常生活の憂鬱は― 「聞いてもらう」という単純なことで、健全な哲学に向かえるような気がする。

・ああ、きっと私が痛いのは、ただコミュニケーションを拒否されることにあるんじゃない。「お前の話は聞く気がない」っていう信号を読み取っているからなんだ。それでなんとか聞いてもらおうとして、難しい言葉で、一貫性のある話をする。一生懸命「考え」て、つじつまが合うように、退屈じゃないように、拒否されないように話す。そういう話をするのも、もっと他愛ない話をするのも、どちらも私なんだろうけど― 「余計なことはしすぎるほどいいよ」と、「無駄」をスローガンにしてた私はどこにいったんだろう。

・「本質的なこと」なんて、考えれば考えるほど本質的じゃなくなる。
| 未分類 | 14:36 | トラックバック:0コメント:0
階段
花がみなしぼむように、
青春が老いに屈するように、
一生の各階段も知恵も徳もみな、その時々に
花を開くのであって、永続は許されない。
生の呼び声を聞くごとに、心は、
勇敢に、悲しまずに、
新しい別な束縛に入るように、
別れと再開の覚悟をしなければならない。
およそ事の初めには不思議な力が宿っている。
それがわれわれを守り、生きるよすがとなる。

われわれは空間を次々と朗らかに闊歩せねばならない。
どの場所にも、故郷に対するような執着をもってはならない。
宇宙の精神はわれわれをとらえようとも狭めようともせず、
われわれを一段一段高め広めようとする。
ある生活圏に根をおろし、
居心地よく住み着いてしまうと、弾力を失いやすい。
発足と旅の覚悟のできているものだけが、
習慣のまひ作用から脱却するだろう。

臨終のときも、なおわれわれを新たな空間へ向け
若々しく送ることがあるかもしれない。
われわれに呼びかける生の呼び声は、決して終わることはないだろう
では、よし、心よ、別れを告げ、すこやかになれ!


― Hermann Hesse
| 未分類 | 05:09 | トラックバック:0コメント:2
『不滅』 Milan Kundera
―ノヴァーリスは三十歳に達しなかったが、しかしその若さにもかかわらず、たぶん、彼に霊感を吹き込んだものといえば、ただもう死、魂を奪う甘美な死、詩というアルコールに変換された死だけだった。誰しもすべて遥か遠くのほうへ、生の極限のほうへ、そして彼方、非=存在の無限性のほうへ手を差し伸べながら、超越のなかで、自己の止揚の中で生きていた。前に私が言ったように、死がどこにあろうとも、その伴侶である不滅は死とともにあり、そしてロマン派のひとびとは厚かましくも死に親しげに話しかけていた。ベッティーナがゲーテに親しげに話しかけていたのとまったく同じように。

―「あなたがじっと閉じこもっていらっしゃれるかどうか、<善>の精神なのか、それとも『ファウスト』の鼠のように<悪>の精神なのか見たいと思うわ。最高の優れた精神、あたくしの最良の友でもある優れた精神が、毎日まだぐこの敷居にあたしは接吻し、祝福します」

それでゲーテはどうしたか?引用した手紙にしたがえば、彼はこう明言したという。

「ここから出るためと言って、あなたを踏みつけにしたりはしませんよ。あなたのこともあなたの愛も。あなたの愛はわたしにはあまりに貴重すぎるからな。あなたの才気についてとなると、わたしはそのまわりをそろりそろり動くだけだ、なにしろあなたは頭がよく働きすぎるし、あなたとは仲良く生きていくほうがよろしいから」
| 未分類 | 04:39 | トラックバック:0コメント:0
きみは生きて呼吸してたに過ぎないんだ
十五分間に千回もためいきをつき
一生かかってたった一回叫んだ
それでこの世が何か変わったか?
なんてそんな大ゲサな問いはやめるよ
真夜中にぬるいビールの一カンと
奇跡的にしっけてないクラッカーの一箱が
ぼくらの失望と希望そのものさ

そして曰く言い難いものは
ただひとつだけ
それがぼくらの死後にあるのか生前に
あるのかそれさえわからない

魂と運命がこすれあって音をたてたら
もうぼくにも擬声語しか残ってないよ
でも活字になるんじゃ
呻くのだって無駄か

ぼくは目をつむって
どんな幻影も浮かばぬことがむしろ誇りだ
その事の怖ろしさに
いつか泣き喚くとしても


― 谷川俊太郎

| 未分類 | 04:11 | トラックバック:0コメント:0
『百万回生きた猫』
やがて、子ねこたちは 大きくなって、それぞれ どこかへ いきました。「あいつらも りっぱな のらねこに なったなあ。」と、ねこは まんぞくして いいました。
「ええ。」と、白いねこは いいました。そして、グルグルと、やさしく のどを ならしました。白いねこは、すこし おばあさんに なっていました。ねこは、いっそう やさしく、グルグルと のどを ならしました。
ねこは、白いねこと いっしょに、いつまでも 生きていたいと 思いました。

ある日、白いねこは、ねこのとなりで、しずかに うごかなく なっていました。ねこは、はじめて なきました。夜になって、朝になって、また 夜になって、朝になって、ねこは 100万回も なきました。
朝になって、夜になって、ある日の お昼に、ねこはなきやみました。ねこは、白いねこの となりで、しずかに うごかなくなりました。


ねこは もう、けっして 生きかえりませんでした
| 未分類 | 03:54 | トラックバック:0コメント:0
『小さなちいさな王様』
―「年をとるにつれて、夢がどんどん巨大になっていくのか・・・。そして、いつしかその夢の中で暮らすようになって、箱から箱へのぼったりおりたりして、やたらに巨大な想像の中をさまようようになるんだね」僕は、ひとりごとのようにつぶやいた。

「そんなふうにできているのか、きみたちのところでは」

「おれたちのところでは、な」
王様はうなずいた。

「きみたちのところ・・・か」
僕はため息をついた。


―小さな王様は、いつか僕にこう言ったことがある。
「お前はなんだって、壁の向こう側をわざわざ見ようなどと思うのかね?どうなっているのか知りたいのなら、想像してみればいいじゃないか。ゆっくり落ち着いて、目を閉じてだな、その向こうの世界を自分で思い描いてみればいいのだ。おまえだって、子どものころは、それがあたりまえのようにできたのだぞ、両目を開けたままでもな。もう、やりかたを覚えていないのかね?どうして忘れてしまったのかね?」

| 未分類 | 03:47 | トラックバック:0コメント:0
The Little Prince
The little prince also uprooted, a little sadly, the last baobab shoots. He believed he would never be coming back. But all these familiar tasks seemed very sweet to him on this last morning. And when he watered the flower one last time, and put her under glass, he felt like crying.

"Good-bye," he said to the flower.
But she did not answer him.
"Good-bye,"he repeated. The flower coughed.
But not because she had a cold.
"I've been silly," she told him at last. "I ask your forgiveness. Try to be happy."
He was surprised that there were no reproaches. He stood there, quite bewildered, holding the glass bell in midair. He failed to understand this calm sweetness.
"Of course I love you," the flower told him.
"It was my fault you never knew. It doesn't matter. But you were just as silly as I was. Try to be happy... Put that glass down. I don't want it anymore."
| 未分類 | 03:33 | トラックバック:0コメント:0
『大きな木』
―『自由からの逃走』(Escape from Freedom 1941)の著者、エーリッヒ・フロムが、かつて愛を論じたとき(『愛するということ』The Art of Loving 1956)、「愛とは第一に与えることであって、受け取ることではない」と主張したのを、記憶している人も多かろう。これこそ、この物語に貫流する中心的な思想なのである。しかし、「与える」とはなにか。なにかを断念することか、奪われることか。あるいは喪失することか。いや、そうではないとフロムは言う。「与える」ことは人間の能力の最高の表現なのであり、「与える」という行為においてこそ、人は自分の生命の力や富や喜びを経験することになる、と考える。

一本のりんごの木は、この主張そのままに、ひとりのともだちに、自分の肉体を削って、木の葉を与え、果実を与え、枝を与え、幹を与え、すべてを与える。母性愛さながらに―。・・・すなわち、エーリッヒ・フロム同様、シルヴァスタインにとっても、「与える」ことは、あふれるような生命の充実を意味しているのであって、犠牲的喪失を意味しなかった。こうして、一箇の切株になっても、なお「与える」ことを忘れないリンゴの木に、言い知れぬ感動があるなら、その感動こそ、「犠牲」ならぬ真の「愛」のもたらすものにほかならないのである。
| 未分類 | 03:22 | トラックバック:0コメント:0
神様
明晰な頭脳も 綺麗な姿形もいらない
読書も 運動も 
お与えくださらなくて結構です

ただひとつ
暖かいこころ
人を愛し 愛される力

私はただそれだけが欲しい

冷たい夜に
凍え死んでしまわないように
この心は冷たすぎる

素直さ、ただまっすぐであること
歪まないように 歪まないように生きてきたはずなのに



苦しすぎる。きっと何か仕事とか、社会的にどうしてもやらなくちゃいけないことがあるほうが向いてるんだ。こんな状態では。磁石みたいに離れられない人に、すぐ助けを求めようとする。でも知ってる。みんな人間なんだってこと。どうしてこうなんだろう。自分で決めたことすら守れない。孤独、絶望、無気力、劣等感と羨望のかたまり。「欲しければ、手に入れればいいのに」楽観的な私がそう言ってるのが聞こえる。だけどね、手に入らないものもいろいろあるんだよ。哲学書を読まないようにしよう。今夜は・・・何を読んだらいいだろう。朝になって、セミと鳥が鳴きだして、光が差し込むまで。

眠れないのは、死ねないのと同じだ。安楽が訪れてくれない。どんなに大声で叫んだって、救ってくれない。ああ、神様お願いだから、涙の跡が乾く頃には眠らせてください。もう考えたくないんです。もう考えたくない。





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PROFILE

☆
☆Author: 久美子
生まれ変わるなら、星か鳥になりたいと思う。
地上に「愛」が存在するならば、すべてを愛し、すべてに愛されたい。
命の灯をともして、日食の闇に、うごめく。



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