<ECLIPSE>

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日記らしい日記を書く試み



微熱の頭で考えたこと。今日は帰りの電車から見える空がまるでどんよりと曇っていたので、押し込められたような街にとぼとぼ帰ってきた。本屋に立ち寄りいくつか手にとって見ている間に、雲はたちまち過ぎ去っていったらしい。外に出たら雨上がりのアスファルトが黒く光って、水滴の滴る傘を持った人々が光に祝福されるように、晴れやかな顔で横断歩道を行き交う。空は青い。熱のこもった頭で少しいらいらしていた私は、徒歩20分の道のりを歩いて帰ることに決めた。

なぜか、私は坂を上がったり階段を下りたりしながら、自分の中でいろいろな人と会話していた。それは実際に聞くほどのことではないような、世界の些細なことについて。あの人だったらどう言うだろう、この人だったらこんな風に答えてくれるだろうな・・・それは私にとって一種の慰めかも知れない。

月曜日でほとんど休みの商店街、アーケードが日陰を作って私の暑さをたしなめてくれる。魚屋さんのおじさんがはっきりとした張りのある声で、「はい、カワハギね、はいっありがとうございます」と言いながらそのおじいさんに言った。そのときふと目が合ったために、私はその先50メートルほどその生きのいい店主について考えることになる。彼はあの店を継いだのだろうか。ずっとあの店と一緒の実家で育ったのだろうか。

その時私の脳裏に、さっき電車の中で目の前に座っていたとある女性の姿が浮かぶ。少し角のある眼鏡に黒いジャンパーにデニム。床に置いたプーマのスポーツバッグには公認会計士のための参考書が、彼女の持っているものの他に5冊詰め込まれている。髪を後ろでひとつに束ねて一心不乱に読みふける姿、化粧ッ気の無い顔。目の疲労と肩の凝りが伝わってくるように痛い。

「彼女は、どんなふうに人生を楽しんでいるのだろう」本を置いて髪を解いたときの彼女を想像しながら、そんなことを考えてしまう。


家まで3つ目の横断歩道の手前で、「期待」は果たして愛だろうか、と考えた。自己回帰的な期待も、他者から感じる期待も― それはあきらめとは少し温度差があって、実際には全く違うものなのか同じものなのかは分からなかったけれど ―例えば期待通りにいかなかったとき、責めるのは愛だろうか。許すのが愛だろうか。それとも、あるがままに受け止めることが最善の道なのだろうか。

・・・


最後の横断歩道で二つに分かれる道が私の思考を分裂させた。雨上がりの差し込むような眩しい光に目が眩んで、頬が蒸気する。色づき始めた並木道に、大人びた秋のざわめきを聞いた。

















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| 未分類 | 22:43 | トラックバック:0コメント:2
真実




心はずむ 青空

この空の下に わたしとあなたが生きていて

それ以上に驚くべき 悲しみも幸せもない

























| 未分類 | 00:02 | トラックバック:0コメント:2
毎日長い帰り道 電車に揺られて傾き加減
それでも 私の目指す地平がそこにあるのなら
逃げ出すわけにも あきらめるわけにもいかない

日々の流れに身を任せながら 私はいつも遠い空を仰ぐ
自信喪失と回復の旅 放浪の途中で
私は思わず錆びそうになる

信じても叶わないことがある
それでもやはり信じなければ その芽が息づく可能性さえ無い
健やかなるときも 病めるときも
常に孤独な魂は 私の魂は大声上げて泣く

母は強く美しく 時に冷酷で厳かであり 気高く淫らで
その手は時に燃えるように冷たいが
眼差しはいかなるときも暖かい



これと言って華やかで目立つ特徴も特技もない私は、ある時ふと見えない糸に縛られてしまい、そこから抜け出すことができなくなる。常に何かの狭間に居て― 内に向かうものと外に向かうものの狭間に居て ―呆れるほど生き生きした感情をなだめたり逆なでしたりしては、苦笑いするしかなくて。

いつも、人間として試されていると思う。

だから真面目にも不真面目にも、どう生きるかを考えずにはいられない。鼓動が波打つ一瞬一瞬が、私の血と肉を作っていくのだから。痛みさえ、涙さえ、やがて命の糧になる。胸が押し潰されそうな夜は、シンプルな旋律を聴いて心満ちる。朝になればどんなに寒くても、日は昇るから。

どこに居ても、どんなときも見つけられるような、美しく輝く小さな星になりたいと思った。長い航海、果てしなく暗い海原で道を失わないように。どんなに遠くても、辛くてうずくまっていても、すぐに飛んでいける鳥になりたいと思った。もし迷って自分自身が分からなくなれば、手をとることはできなくても飛ぶ姿を見せられるから。ひととの混乱した、そしてシンプルな関わりの中でしか私は生きていかれないのだ。

限りなく暖かく、厳しい愛の根源に近づきたいと思いながら
際限無い明るさと無尽蔵の寛容さを手に入れたいと
こんなにも強く憧れながら


誰かに 愛してる と、伝えたくて仕方がなくなる















私はどんな方法で 何を抱きしめようとしているのだろう?


| 未分類 | 21:25 | トラックバック:0コメント:4
樹海



残念ながら、少し不幸せな方が人間は生きやすいのではないか。道すがらそんなことを考えていた。秋らしからぬやや日差しの強い日に、アスファルトで埋められた道をただ歩く。風の音を聞きながら見つめる足元に、私の見知った道は無かった。360°どこを見てみても、取り囲む空気は少し異質な様子であり、慣れ親しんだはずの小道さえ何も語りかけてはこない。光の熱を頬に感じ、昨日はがしてしまった左小指の爪はちょっと痛む。感覚はあるのだ。それなのに、まるで透明人間になったかのように通り過ぎていく風景。

下町への坂を下り、CDを買う。ここ数日、私は私のことが分からなくなっている。今まで経験したどんな痛みとも苦しさとも違う、論文を書くのが嫌なわけではないし、勉強するのがつらいわけでもないし、少し熱っぽい体を除けば健康状態は極めて良好。何かに追い詰められたときに感じるような、あの独特の苦さでないことは確かだ。それなのに・・・非常に形容しがたい思考停止状態。寝込んでみたり、本を読んでみたり、散歩してみたり、友人と話してみたり、散歩してみたり― 音楽を聴いたり、美味しいものを食べたりいろいろしてみたけれど、やはり戻らない。

人に聞いて欲しいわけでもないし、誰かに慰めて欲しいわけでもない。葛藤と呼べるほどの重責を担っているわけでもないし― けれど何かものすごく危険なものが、内に向かうものと外に向かうものが相克して綱を切ってしまいそうになっている。

言葉も、もはや助力にならなくなったようで。長いため息をつけば一緒に涙さえ出そうになる。意味のない涙、ただ人間の体から自然に湧き出る涙。長い間、私は息をしていなかったのだろうか?

坂道を上がる途中で制服の仕立て屋さんのショーウィンドウに高校の制服を見る。「あの頃は間違いなく幸せだった。」アンチ・ノスタルジーな心持でそう思う。すれ違う人たちは、何を考えているのだろうか。旅行のパンフレット片手にぶつかりそうになる人、自転車で子どもを迎えにいくお母さん、八百屋さんの前では世間話に花を咲かせる。

早くも日が落ちる夕暮れの淡い空気の中で、私はただ机に向かって座り、そんな光景を思い出している。


まるで樹海に迷い込んだような、永い、ながい空白―


















| 未分類 | 16:05 | トラックバック:0コメント:2



例えば非常に単純な、そういう人間。奪われることも、追い求めることもない、非常にシンプルな幸せを、私は感じられるようになった。紆余曲折しながら、軸をつくる。軸のある人間は、すぐに分かる。それは早い話気が合うか合わないかということなのかも知れない。勝手に私が軸と名づけているだけなのだけれど、軸のある人間は、ぶれはしても決して倒れることはないから。そういう強い人間を私は心から愛するだろう。

「よい人間は暗い衝動に駆られても、正しいみちをそれなりに行くものだ」
― 『ファウスト』

私はいつも思う。暗い衝動を、なんとか人間の中に芽生えさせまいと躍起になる人たちを見て。自分の中に生じる暗い感情を、忌み嫌ってなんとか避けようとする人たちを見て。それはね、私たち人間が根源的に持っている、人間の証のひとつなのです。本質的な、とても必要なもの。決して欠かすことのできないもの。私たちは生きるために、空気を吸って吐く。私たちは生きるために、たくさんの他の命を取り込む。それと同じように、この世界に生まれ、満たし、還っていくすべてのものは― 
何一ついらないものはなく、等しく光を帯びている。

光から生まれて、光へ還ってゆくすべてのもの。
例えば「痛み」や「不安」が無かったら、私たちは人間として生きていけないのだから。喜びも、悲しみも、痛みも快楽も、先回りして避けようとするのではなく、次に何が起こるか予測するのでもなく、ただそのとき、その場でその感情を味わいつくす。するとどんな感情も、やがて光へと還ってゆく。

生きるとは、そういうことだと思う。


・・・

明け方ベッドの中でふと言葉になったこと。

その①
「知識は経験に先んじることができるが、知恵はできない」―
教育の現場で私たちが教わるのは「知識」であり、
一方、母から子が受け継ぐのは「知恵」である。

その②
「愛とはとても理性的なものである」
















| 未分類 | 22:20 | トラックバック:0コメント:0
the star's songs
★ YOU CHOOSE / star

取捨選択の連続が人生なら
その一つ一つを 大切にしなくちゃね

何に価値を見出すか
何を正しいと思うか
それが日々を形作っていくんだ

間違えて後悔することもある
でも、取り返しのつかないことは
そうたくさんあるわけじゃない

失敗したと思っても
意外とうまくいくこともあるから















| 未分類 | 21:43 | トラックバック:0コメント:0
美しき午後
祝福するように光が注ぐ車両の中で、とても幸せな風をつかまえた午後。髪を正してまっすぐにしたら、心までさらさら流れた。外側も内側も切り離せない、どちらも関連しあって影響を与えているから、姿勢と視線、それに発声は大切だと認識し直した。

・・・

自分でも自分の気持ちやこころの動きが分からなくて困っているひとに、「それでどうしたいの?」はないだろうと思う。答えを急ぐ問いかけは、純粋なコミュニケーション目的のやりとりでは致命的になる。例えばひとつづつ条件を限定して、「じゃあこうしたいの?」「じゃあこういうこと?」― そういう問いかけによれば、YesかNoかどちらとも言えないのか、または全く違うところに意志がある感覚なのか、それくらいは答えられるのに。

つまり自らに問いかけるときさえ、「どうしたいの?」は仮にもひとつの道を選ぶこと、それは他の選択の可能性を視界から遠ざけること。試験では基本的戦略として教わる消去法を、ひとは人生にどのくらい活用するのだろう。本当は、消去法によらない「直観的」な選択が望ましく、事実そういう選択の仕方もある。そうは言うものの、やはり人間は多くの可能性の中から、自分に投影するものを限定することによって生きていると言わざるを得ないと思う。

本当にどうしたいのか聞きたいのならば、「どうしたいのか」とは問わないほうがいい。それは人に聞く前にまず自分に問うべき問題なのだから。

・・・

ひとりで生きているとか、ひとりで生きていけるとか、多くの人に支えられて生きている自分自身を顧みて、それがいかに傲慢で独りよがりな考えだったかと気がつく。私の言う― 孤独であることと、一個の人間として生きていることは、まったく違うことであり、矛盾しないそれぞれの事実である。ひとりで生きることは、ひとりで生きることを考えているうちには達成されないだろう。同様に、子どものような心を持ち続けることは、それを盾にモラトリアムに停滞しようとするうちには成就し得ない。

常に意識していなければ保てないことは― 体に染み付いていない、または不釣合いな香水のようなもの。無意識の領域にそれが沈静したときはじめて、人間は高みに上ることができる。















| 未分類 | 20:30 | トラックバック:0コメント:0
愛と愛情の狭間に



私の愛が失敗する運命にあるとき、それはきっとそれが愛と呼べるような代物ではないときだろうと思う。弱くてもっとふにゃふにゃした、甘えでなく甘ったれ、そういう類の脆いもの。フェイクともカモフラージュとも呼べるような、自己憐憫・損得勘定・快不快、そういう「情」の入るものはとりあえず愛ではないのだ。つまり、人間の愛が失敗するとき、それは愛でなくて愛情だったとき。

よくある話では、お腹を空かせている子どもにその場しのぎのパンと肉を与えるか魚の釣り方を教えるかみたいなこと。よくよく考えてみれば人間の営みはその場しのぎのオンパレードだし、ろくに動けもせず餓死寸前のひとに土を耕し稲を植える方法を教えたって何にもならない。でもそういう命の臨終に関するハード面での問題とは全く異なる地平に、やはり「甘やかす」の概念に近い愛情が存在する。

「甘やかす」のはつまり際限ない甘ったれ人間の輩出であり、甘やかす主体である自分を人間として堕落させることでもある。優しく正義に満ちていかにも誠実に見える言動に、そういう欺瞞が潜んではいやしないか、そういうことを自他ともにチェックしてみる。そういう愛情をどこかに発見したからといって、それを批判したりするつもりはないけれど― 人間の命を妨げるのは、ある現象や事実の存在自体よりもその解釈によってのことのほうが多いから― 

愛情の地平は果てしない鏡面の連続に似て、実は自分のことしか、しかもものすごく近いところしか見えていない人間が彷徨う。そこはどれが本当の自分かすら分からなくなるような分裂したいくつもの自分に向き合わされて、気が狂いそうになる牢獄。

そういうところにずっと居ると、人間はだんだん弱くなる。
錯覚を現実だと思い込むようになる。
その世界しか見たくなくなる。

愛はその媒介者たちにとってとても厳しくて、時には残酷で・・・けれどもしそれが本物ならば、それは光と喜びと、感謝と幸福に満ちた清らかな強さを与えるだろう。その逆に、うまく偽装した愛情は― 決して人間を貫かない愛情は、燃やすことも凍てつかせることもなく生ぬるいまま蓄積して、やがてはひとを腐らせてしまう。












| 未分類 | 02:50 | トラックバック:0コメント:0
ひかり



ナニモカモ、何もかもに対して、自分の身の置き場に困ってしまう。私のポジションは一体どこなのか、何をすべきなのか、何をすべきでないのか、そういうことを考え出すと― 何が楽しくて何が楽しくないか、そういう次元のことが― また分からなくなってくる。つまり両者が一致していないということだろう?

もし娼婦になれたなら、と想像してみる。娼婦か歌舞伎町のキャバ嬢か六本木のホステスか・・・「夜の世界」。そこには投げやりでない一つの人生があることを私は充分考えうるけれど、それでも何か真剣かつ投げやりな態度でもって「夜」や「酒」や「男と女」、「金」の世界にまみれることを恒常的に欲する。潔白なもの、明るいもの、健全なものを、私は憎んでいるのだろうか?― 自虐的に、闇にいて光を愛することを望んでいるのだろうか。 


重い・・・重たい。精神が重たくのしかかってくる。いつだって意識を入れ替えれば、明るく楽しくなることを知っている。それでも、私の思想的なもの、考えていることのほんの少しも伝わらない世界にいて、私は自分の表現力の無さを嘆くか、他人の理解力の無さについて思案してみるか― どちらにせよ無益な精神的動揺を繰り返すことになる。伝える必要のあることは何もないと言いながら、なぜこんなにも伝えることについて考えなければならないのか、自分でもよく分からない。

そういう動揺に突き当たった人間は、どうしたってどうにかして伝える「手段」を考えずにはいられなくなるだろう。その媒体となるのは文章なのか、絵なのか音楽なのか、詩なのか舞踏なのか、もしくはもっと別のものなのか― その答えを模索しつつも、結局は自分自身が媒体になることが最善の手段であり目的なのではないかと薄々感じる。つまり、「透明になること」。多くのものを持ちすぎてもいけないし、多くのものを捨てすぎてもいけない。自らの心身にあらゆるものを通過させ、抽出すること。心の風通しを良くしておくこと。

何によっても埋まらないぽっかり開いた穴を、そういう自分の心身の可能性にかこつけて、孤独を合理化しようとしているだけなのかも知れない。もはや多くのことが説明できなくなっていて、つまり説明するのが面倒になっていて、私はあるときふと愕然とする。それは子どもを産んだあと、女性のお乳が張ってつらい苦しみと似たような苦しさかもしれない。













| 未分類 | 00:52 | トラックバック:0コメント:2
"The progress of an artist is a continual self-sacrifice, a continual extinction of personality... Poetry is not a turning loose of emotion, but an escape from emotion; it is not the expression of personality, but an escape from personality. But, of course, only those who have personality and emotions know what it means to want to escape from these feelings."

― T.S.Eliot














| 未分類 | 21:14 | トラックバック:0コメント:0
Which do you choose ?
不幸な人とは 不幸なことがあり その後も不幸を煩ってしまう人のこと
幸福な人とは 不幸なことがあっても 幸せを感じて生きる人のこと


醜いものも 残酷なものも 汚れてしまったものも 
ひとつの環の中で 光にてらされて美しくなる
人間も同じ
世界と同じ

混沌とんとん
とても単純で尊いものから つくられているから
道に迷ったら
土に触れてみて
風の音を聴いて
水を飲んで
深くいきをして

空に登る太陽に てらされて 美しくなる


そして偉大な魂は
ひっそりと 光に溶けて―













卒業論文執筆のためしばらく更新が滞ります。
いつも読んでくださっている皆さん、ありがとう!

心より感謝の気持ちを込めて
☆ 久美子
| 未分類 | 19:20 | トラックバック:0コメント:1
2002年 3月16日
・・・

自分の中に絶えず命の炎を灯していれば、いつか必ず、同じ炎を持っているひとに巡り合う。色やかたちは違っても、合わせたらはるか高みまで燃え上がるかもしれない。きっと、最後に出会うのはひとりの人間として命を終えた自分自身なのかもしれない。それとも、鮮明に脳裏に焼きついている若き日の自分かもしれない。・・・なんてこの世界はこんなにも美しくつくられたのだろう?愛も憎しみも、苦しみも喜びも、善も悪も含めて世界は回っている。私はここに生まれることができて、なんて幸せなんだろう。

私は死ぬ最後のときに、もう一度この人生を繰り返してもいいと思えるような人生を送りたい。それこそが、私が最初で最後に手にする「永遠」だから。この世のすべての色を見たい。この世のすべての音を聴きたい。すべての光をこの目でとらえたい。すべてのものに触れ、すべての土を踏む。それが一個の人生で完成しないことを知っているからこそ、生きることは面白いんだろう。世界の美しさを築き上げているのは、いつも余白なのだと気付いた。私はきっとその余白に、こだわって生きていくのだと思う。

・・・









| 未分類 | 22:26 | トラックバック:0コメント:2
歯を喰いしばる
いつまでも耳にくっついて離れない波の音のように
穏やかに揺れる優しさに身を委ねたい
私はこの命のある間に
一体あとどのくらい泣くだろう

朝方のカーテンの光の隙間に
おぼろげに見る夢
苦笑いして
痛みと感謝を感じるとき
私はただ祈る

より高貴なものを
より醜いものを
より残酷であり
より美しいものを

私は世界から
そういう一瞬一瞬を受け取るのだ
そしてすべてを抱き寄せて
丁寧に暖める


それは空高く燃える
炎の糧になる―












| 未分類 | 23:36 | トラックバック:0コメント:0
二律背反



「身軽でなきゃ、飛べないし」友人に言った言葉に、やはりさらに高みを飛びたいと願い続ける自分を見出しつつ、程よく身軽になったこの私を意識した。

人生には、何事にも余裕があると楽しい。勉強も、仕事も、恋も、何かひとつのことに偏るとつい回りが見えなくなるのはよくあることだ。それもいい。心のおもむくままに、何も抑せず、制せず、心が欲してやまないことを真っすぐにすること。そういう類の事々は、一般に苦痛だと思われていることでさえも楽しくて仕方がないものだから。つくづく、その人の背負う荷の重さは、その心によるものなのだと思う。余裕の無いひとはいつも、苦しそうで辛そうで不満そうな顔をしている。

ほんの少しの余裕が、苦痛を快楽にする。もとから快いものに比べれば、少し味のある快さ。そして人間を甘やかすような快楽は、快楽の名にふさわしくないのだ、と思う。この世界で相反し、全く別のものだと思われている二つのものは実はまったくひとつのものであることが多い。もとはひとつであったものが、幸・不幸か様々な名を付けられている。確かにそれらは、極にあっては全く異なるように感じられるだろうけれど、そのどちらも私たちの中で揺れる波のようなものなので、その大本が全く同じであるとか、形を変えているだけだとか、そういうことは別段驚くに値しないだろう。

そういうひとつのものを、二つに分かつもの。身の置き場のない不確かな感情をなんとか明らかにしようと、ひとはそれを愛と呼び、憎しみと呼び、希望と呼び、哀しみと呼ぶ。明るみに出ないもの、闇にあるものは人間を常に不安に陥れるので、深い闇の底から引っ張り出したものを私たちはそう呼ぶのだ。「そのまま」にしておけない。「そのまま」感じることができない。真っすぐに耐えることができず、それゆえ混沌を楽しむこともできない。私はその混沌に喜んで身を投げ出す者こそ、美しいのだと思う。


それは際限なく枝分かれした道を、ひとつの光で重ね合わせること。
いくつも用意された窮屈な牢獄から、物別れになった魂を解放すること。















| 未分類 | 22:52 | トラックバック:0コメント:2
種をまく




















| 未分類 | 22:05 | トラックバック:0コメント:2
美しいものから発せられる波動。空間を揺れて伝わってくる、音や光。私たちが視覚的に、聴覚的に感じられるのと同じように、目に見えず、音にも聞こえずに、伝わってくるものがある。ひとつひとつのもの、空間、時間、色、形、スタイルに関わらず、絶対的に美しいもの。それは一種の熱であり、私はその静かな熱に絡め取られて一体化する。例えば世界と、例えば人工物と。世界に溶けているとき、人間は最も息をしやすいのだ。完全な美から目を逸らすのは容易い。しかし熱を受ける感覚を閉ざすことは出来ない。支配されるがままに服従し、溶ける―

そこには基準になるものが無い。










| 未分類 | 23:25 | トラックバック:0コメント:0
君の名は
私の名前を呼ばれるたびに 
深い闇の底から 引き上げられる
少しずつ すこしずつ

名を明かすことは 闇から顔を覗かせること
名を呼ぶことは 闇から光へ引き上げること

曖昧なもの 暗いもの 深いもの
闇を愛する私は とまどう

ひとと ひと
決して光に曝されないもの
それは 光そのもの









| 未分類 | 02:26 | トラックバック:0コメント:2
(未完)



醜いものを醜いままに、残酷なものを残酷なままに、悲しいことを悲しいままに、嬉しいことを嬉しいままに、美しいものを美しいままに、誠実に、実直に伝えること。

時にそれは刃のように、人の心に突き刺さるかもしれない。
自分を守る防壁を、一瞬にして崩すことになるかもしれない。
それでも、われわれは偽りを捨てなければならない。
自らの心に背く、防腐剤のような言葉を憎まねばならない。

心を解放すること、今感じているそのものをそのままに感じ、受け取り、噛みしめ、握りしめた手のひらを開くこと。

誠実なやりとりは、いかなる場合も人間を善くする。
虚偽に満ちたやりとりは、やがて人間を腐らせてしまうだろう。

思いやるふりをすることをやめよ、
己を偽ることをやめよ、
人間の可能性を疑うことをやめよ、
潔白を証明しようとするな、
そんな必要は無いのだ。

厳しい冷たさの中に、温もりがある。
歯を食いしばるような痛みの中から、優しさが生まれる。
誠実さ― その深くに無尽蔵の人間の暖かさをともなっている。



そうして、私たちは愛に触れることができる。
















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PROFILE

☆
☆Author: 久美子
生まれ変わるなら、星か鳥になりたいと思う。
地上に「愛」が存在するならば、すべてを愛し、すべてに愛されたい。
命の灯をともして、日食の闇に、うごめく。



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