<ECLIPSE>

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ひかり



ナニモカモ、何もかもに対して、自分の身の置き場に困ってしまう。私のポジションは一体どこなのか、何をすべきなのか、何をすべきでないのか、そういうことを考え出すと― 何が楽しくて何が楽しくないか、そういう次元のことが― また分からなくなってくる。つまり両者が一致していないということだろう?

もし娼婦になれたなら、と想像してみる。娼婦か歌舞伎町のキャバ嬢か六本木のホステスか・・・「夜の世界」。そこには投げやりでない一つの人生があることを私は充分考えうるけれど、それでも何か真剣かつ投げやりな態度でもって「夜」や「酒」や「男と女」、「金」の世界にまみれることを恒常的に欲する。潔白なもの、明るいもの、健全なものを、私は憎んでいるのだろうか?― 自虐的に、闇にいて光を愛することを望んでいるのだろうか。 


重い・・・重たい。精神が重たくのしかかってくる。いつだって意識を入れ替えれば、明るく楽しくなることを知っている。それでも、私の思想的なもの、考えていることのほんの少しも伝わらない世界にいて、私は自分の表現力の無さを嘆くか、他人の理解力の無さについて思案してみるか― どちらにせよ無益な精神的動揺を繰り返すことになる。伝える必要のあることは何もないと言いながら、なぜこんなにも伝えることについて考えなければならないのか、自分でもよく分からない。

そういう動揺に突き当たった人間は、どうしたってどうにかして伝える「手段」を考えずにはいられなくなるだろう。その媒体となるのは文章なのか、絵なのか音楽なのか、詩なのか舞踏なのか、もしくはもっと別のものなのか― その答えを模索しつつも、結局は自分自身が媒体になることが最善の手段であり目的なのではないかと薄々感じる。つまり、「透明になること」。多くのものを持ちすぎてもいけないし、多くのものを捨てすぎてもいけない。自らの心身にあらゆるものを通過させ、抽出すること。心の風通しを良くしておくこと。

何によっても埋まらないぽっかり開いた穴を、そういう自分の心身の可能性にかこつけて、孤独を合理化しようとしているだけなのかも知れない。もはや多くのことが説明できなくなっていて、つまり説明するのが面倒になっていて、私はあるときふと愕然とする。それは子どもを産んだあと、女性のお乳が張ってつらい苦しみと似たような苦しさかもしれない。













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☆
☆Author: 久美子
生まれ変わるなら、星か鳥になりたいと思う。
地上に「愛」が存在するならば、すべてを愛し、すべてに愛されたい。
命の灯をともして、日食の闇に、うごめく。



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