<ECLIPSE>

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愛と愛情の狭間に



私の愛が失敗する運命にあるとき、それはきっとそれが愛と呼べるような代物ではないときだろうと思う。弱くてもっとふにゃふにゃした、甘えでなく甘ったれ、そういう類の脆いもの。フェイクともカモフラージュとも呼べるような、自己憐憫・損得勘定・快不快、そういう「情」の入るものはとりあえず愛ではないのだ。つまり、人間の愛が失敗するとき、それは愛でなくて愛情だったとき。

よくある話では、お腹を空かせている子どもにその場しのぎのパンと肉を与えるか魚の釣り方を教えるかみたいなこと。よくよく考えてみれば人間の営みはその場しのぎのオンパレードだし、ろくに動けもせず餓死寸前のひとに土を耕し稲を植える方法を教えたって何にもならない。でもそういう命の臨終に関するハード面での問題とは全く異なる地平に、やはり「甘やかす」の概念に近い愛情が存在する。

「甘やかす」のはつまり際限ない甘ったれ人間の輩出であり、甘やかす主体である自分を人間として堕落させることでもある。優しく正義に満ちていかにも誠実に見える言動に、そういう欺瞞が潜んではいやしないか、そういうことを自他ともにチェックしてみる。そういう愛情をどこかに発見したからといって、それを批判したりするつもりはないけれど― 人間の命を妨げるのは、ある現象や事実の存在自体よりもその解釈によってのことのほうが多いから― 

愛情の地平は果てしない鏡面の連続に似て、実は自分のことしか、しかもものすごく近いところしか見えていない人間が彷徨う。そこはどれが本当の自分かすら分からなくなるような分裂したいくつもの自分に向き合わされて、気が狂いそうになる牢獄。

そういうところにずっと居ると、人間はだんだん弱くなる。
錯覚を現実だと思い込むようになる。
その世界しか見たくなくなる。

愛はその媒介者たちにとってとても厳しくて、時には残酷で・・・けれどもしそれが本物ならば、それは光と喜びと、感謝と幸福に満ちた清らかな強さを与えるだろう。その逆に、うまく偽装した愛情は― 決して人間を貫かない愛情は、燃やすことも凍てつかせることもなく生ぬるいまま蓄積して、やがてはひとを腐らせてしまう。












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PROFILE

☆
☆Author: 久美子
生まれ変わるなら、星か鳥になりたいと思う。
地上に「愛」が存在するならば、すべてを愛し、すべてに愛されたい。
命の灯をともして、日食の闇に、うごめく。



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