<ECLIPSE>

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
| スポンサー広告 | --:-- |
ground beat
大音量でR&Bをかけて、ベッドに沈む。オピウムの香がくすぶる重苦しい空気。鼓動に似た重低音がこの体と重なって愛撫する。

今日見たNHKの特集で、インドのことを思い出した。卒論を書いているときも、他の記事を書いているときも、常に片隅に潜む疑問。インドはいま経済成長の真っ只中、あと10年、いや、5年もすれば風景はいくらか変わっているだろう。片言を交わした人たちの顔が目の前にちらつく。彼らはどうなるんだろう?すれ違った、同じ土を踏んで生きている人たちは一体どうなるんだろう―

ヘッセの愛した、どうしようもない郷愁の念が私の中にも強く息づいている。故郷に固執するわけではない・・・私はこの街を出て行く。新しい土地に、新しい空間に、次々と踏み出していく。後悔というものを知らない私は、10年もしたらやはりこの時を懐かしく思うのだろうか。誰にでも帰りたい場所がある。戻りたい時がある。それでも、「今が最高」と、人生の偽りない正しさを積極的に肯定し続けて生きる。それは、変化の激しいとりとめのないこの命の底に、いつも流れている通低音を信じること。

ただ、きっと私は人間の原初的なところに、ものすごく原初的なものにいつも立ち返りたいんだろう。そしてそれが少なからず失われてしまうのを目撃するのが嫌なんだろう。近代化と科学が、人間性を薄めたか?― No いつだって人間のいる情景には、人の匂いがするもの。ただ少し気がつかないでいると、すこし損なわれた後に振り返ることになる。・・・人間は不思議な生き物だよね。立ち返る地点、振り返るべき時は何度もあったはずなのに、誰もがそれに気づかぬふりをして進み続ける。反省と後悔はまったく別のもの。


相対的な貧困や、相対的な幸福というものを私はもはや信じようと思わない。「上を見ればきりが無い」―? 一番になることとか、常に高みを目指すこととか、それは当然の欲求であり生きる力になる。けれど、人より何かを多く持っていることが果たして幸せなのだろうか。正確には、「持とうとすること」が幸せなのだろうか。
絶対的幸福― 未熟ではあるけれど、私はそのありかを知っている。



















スポンサーサイト
| 未分類 | 01:00 | トラックバック:0コメント:0
| ホーム |

11 | 2005/12 | 01
S M T W T F S
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
PROFILE

☆
☆Author: 久美子
生まれ変わるなら、星か鳥になりたいと思う。
地上に「愛」が存在するならば、すべてを愛し、すべてに愛されたい。
命の灯をともして、日食の闇に、うごめく。



RECOMMEND
  • SELECTED ENTRIES
  • (12/07)
  • (11/19)
  • (07/19)
  • (06/23)
  • (05/27)
  • CATEGORIES
    ARCHIVES
    RECENT COMMENTS
  • TAKK (03/23)
  • TAKK (07/04)
  • kumy (06/09)
  • TAKK (06/08)
  • ash (02/14)
  • (01/01)
  • kumiko (12/07)
  • RECENT TRACKBACK
    LINKS
    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。