<ECLIPSE>

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今日、知り合いの素敵なマダムに「手、綺麗ね」と褒められた。お茶をしていたわけでもなんでもなく、ただ確認のために紙を一枚取り出してまたポケットにしまっただけなのだけれど。高校生のときなんかは部活が終わって家に帰り、倒れるほど眠くない限り時間に余裕があったからマニキュアを長い時間かけて丁寧に塗っていた。足の指も、手の指も、どうせ部活で炭酸マグネシウムにまみれてしまうにしても、余念なく磨いておける意識的余裕があった。よく定期試験中の真夜中に黙々と手入れをし出していたのを覚えている。

でも現在・・・爪は作業をしやすいように短く切ってあるし、ささくれているし、ところどころひび割れているし、もちろん甘皮の処理なんてしていない。甲にしても不用意に壁にすった傷あとがたくさんある。指も節が目立つ。

けれど今日、そう言われたとき咄嗟に「そうか。手を大切にしよう。磨いてみよう。」と思った。とても久しぶりに自分の何かを褒められて、私は最近あまりにも褒められることから遠のいていたなあと気がつき、これからは褒めてもらったものを、素直に受け止めて大切にしていこうと。そういう作業を、今まであまりにもおろそかにしてきたから。

さっきなんとなくハンカチやポケットティッシュが入っている引き出しを整理したら、ものすごく単純なそういう作業で満たされるのを感じた。たとえば他の人なら、お気に入りの靴を磨くときや、車を磨くとき。お気に入りのシャツにきちんとアイロンをあてるときや、丹念に育てた庭の草花の世話をするとき。手入れとか整理というものは、合理的に使いこなせる状態にしておくということはもちろんあるけれど、もっと根本的な、ものすごく人間を満たす特別なことと深く結びついているのだと思う。モノでなくとも、何かを大切にするということが。きっと何かを大切にするという行為はとても自己完結で、おそらく利己的な行為だ。

そこに、マテリアルとエッセンスを繋ぐ鍵があるような気がする。

























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| 未分類 | 02:24 | トラックバック:0コメント:2
ひとつのカテゴリーに自分を括りつけようとするのはやめよう。何かの枠に収まるということは(既におさまっているかもしれないけれど)、私にとって不安を解消する安易手段だ。いや、もしかしたらひとつの枠におさまるということのほうが遥かに難しいことなのかもしれない。

すべての文字と、感覚と、空気と・・・あの本には何が書いてあるのだろう、あの街の人はどんな風に話すのだろう、その公園に生えている木はどんな記憶を持っているのだろう?私のしたいことはただひとつだ。読みたい、聞きたい、会いたい、話したい、書きたい― 学びたい。ときおり、触れていないフィールドのあまりの広さに愕然として押しつぶされそうになる。なぜこんなにも世界は豊かなのだろう。私の単純な欲求を満たしてくれる事物がごろごろ転がっている。

知りたい欲求が書きたい情熱に繋がるまで― わたしは耐えなければならないだろう。生活が無機質なのに対して・・・私はわたしの内面が(というかわたしが)洪水のような色に氾濫しているのを、ずっと知っていたような気がする。

幾日か前の早朝、私は生まれて初めて、子を産み落とす夢を見た。そしてわたしは一人ではなかった。誰かがわたしの子を取り上げ― 正確には私の子宮で芽生えた何かを手伝い― 光のうちに、誘ってくれたのだった。まったく苦しくなかった。人間は「産むとき」がいちばん苦しいのか?長い懐妊期間こそが、もっとも苦しい時期ではないのか。なにかがそこに芽生えていることは分かっている。自分でもそれを如実に感じることができる。けれど産むまではその正体は明らかにされず、ただ希望に胸が躍るのだ。



私は偉大な母になりたい。


















| 未分類 | 01:26 | トラックバック:0コメント:2
In paradisum

マチは煙るように青白い霧に包まれていた。おばけ電球の奇怪なリズムの光に照らし出されて強い雨に打たれれば、涙も涙とわからずに昨日へと流れていくだろう。その電球の下にじっと立ちすくみうなだれる人々を、その悲しみを、私はどうすることもできない。他愛のない会話で、彼らをこちらの世界につなぎとめておく努力を― 死は、本当にいつも身近にあるだろうか。私が泣くことも笑うこともせず自分を疑いはじめるのは、きっと、私が生きているからに違いない。ひとは土に還るのだ。それは霊魂や何か信仰上の説明ではなく、そういういわゆる非合理的といわれる解釈ではなく、そういう柔らかいものをさしはさまない、即物的現実である。魂は天国へいかれました、と言われるよりも。故人は星になりました、といわれるよりも。土に、還りました。それは最高に、厳しく暖かい響きであると思う。


雨音のレクイエムが、一晩中、美しく響く。




























| 未分類 | 00:51 | トラックバック:0コメント:0
誰かといるのは、とても寂しい。

それにかかわらず、私はつっかえて憔悴している。



























| 未分類 | 02:20 | トラックバック:0コメント:0
so be it : かく在らせ給え

私は「いち」を通って、普遍に至る。よりシンプルに。より厳しく。より少なく。世界には想像もつかないほどの「個」がある。雑然とした世界にうごめく個を、集約してひとつにしてしまう。大方そういう方法に、歪みが生じるのだろうと思う。答えはわからない。決める必要もない。しかし今のところの、私の思考方法は、「いち」を通って普遍に至る。


あなたを祈るとき、私は比類なき安息を手に入れる。アーメン、かく在らせ給え。至上の肯定。揺ぎ無き肯定。闇も、光も、善も悪も、すべてがそのままであるように。愛するものはすでに美しく、私は永遠を願わずにはいられない。そしてわたしは、あなたの繋がりのすべてをも、祈るだろう。

かみさまが笑ってくれるなら、どんなことにも耐えられる。


























| 未分類 | 22:58 | トラックバック:0コメント:0
あっ、  ちょっとクラっと眩暈が・・・
だめだー。まかせとけって言ったけどもうすでに小心者魂がむっくりと。いや、これでいいんだ。そうそう、この感じ。

誰か、私の魂を揺さぶってくれ。



























| 未分類 | 02:21 | トラックバック:0コメント:0
そういう愛しかたしかできないんだろう、それが私なのかもしれない。そう悟ったとき、強く頭を殴られたような鈍い痛みと、とてつもない脱力感を感じた。救いようがないじゃない―

溶け出した世界が私を窒息させて、とおりすぎていく。

わたしは今、とても大きなものを選ぼうとしている。
それが闇をもたらすのか、光を招くのか私は知らない。


朝方、わたしの唇をふさぎにきたのは誰だったろう。
それは静けさに満ちた、哀しい朝だった。
























| 未分類 | 12:41 | トラックバック:0コメント:0
人間は、その境を失うほどに近すぎても、遠すぎてもいけない。少なくとも私にとってはそういうことになっている。均衡を破ろうとする者があれば、私は自ら、なんのためらいも無く糸を断ち切るだろう。それは私にとって、もはや愛すべきものではないから。私の愛はその程度のものだ。

自己犠牲の精神などこれっぽっちもない。


























| 未分類 | 01:23 | トラックバック:0コメント:0
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PROFILE

☆
☆Author: 久美子
生まれ変わるなら、星か鳥になりたいと思う。
地上に「愛」が存在するならば、すべてを愛し、すべてに愛されたい。
命の灯をともして、日食の闇に、うごめく。



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