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あなたは、私の母を覚えていてくれますか―
雨のためにおともの自転車を家に留守番させてきた姪と母のやりとりを見て、そんなことを思う。痛烈に、そしてなぜか甘く、胸のつまる刹那が私をおそった。 母の手によるもの、そういうもので家の隅々まで満たされている。言うなれば、この家に母の存在しない空間も瞬間もないのだ。同じように、きっと私についても。持続的な思い出を連ねた時空に私たちは生きている。浸し、浸される愛― 今それを語ることは相応しくないのだだろうか。何ものかが私に、関連する言葉を発することを禁じている。 記憶の共有。共有の記憶。記憶するということ、それもつながれた他者と「同じ」記憶を持つということ― それによって私と、私たちは、存在と不在を同時に明るくする。思い出を語ることは彼の不在を認めたことになりはしないか?しかし同様に、その存在を呼び戻しはしないだろうか。前者と後者の意味する「在ること」はまったく質を異にするものであるが― 記録することの真相がまた別の顔を見せる。 不在への予感が、存在を鮮明に映し出す。 スポンサーサイト
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☆Author: 久美子
生まれ変わるなら、星か鳥になりたいと思う。 地上に「愛」が存在するならば、すべてを愛し、すべてに愛されたい。 命の灯をともして、日食の闇に、うごめく。
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