<ECLIPSE>

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愛は、人間が発明し得た最高の詐欺です。










































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| 未分類 | 07:41 | トラックバック:0コメント:2
flawless
細かい傷をつけて磨かれる宝石のように、光を集めて反射するものははじめ、とても不恰好で、ごつごつとしていて、尖っていて、不透明で―鋭いエッジで世界の何かを傷つけてしまったからといって身を隠す必要はない。血の溢れ出た接点で、かどは削られていくのだから。不用意に衝突を繰り返すわけではなく、触れて傷つけ、傷つけられたところから次第に光を集められるようになるから。

人間は周到につつまれ、目隠しされた状態で生まれる。そのものの形すら変えてしまうような危機的な傷でなく、少しづつ時間をかけるしかない摩擦によって世界が見えてくる。「磨く」という言葉の本質はその接点にある。自分を投げ出すということの意味も。

すべてが球に集約されて、球の面すらもこすれ合って、小さな小さな粒になり消えていく。若いとき心もからだも重いのは、かたまりが大きすぎるから。年老いて自分を小さく感じてしまうときは、削れた自己だけを見ているとき。












私は小さく、小さくなって消え、そのとき flawless になる。











































| 未分類 | 04:54 | トラックバック:0コメント:2
朝はいつも悲しみに満ちて

青ざめた時代に生まれたことを

嘆かない日はないけれど


許すことと

愛することと

生きること


いつまでも不完全な希望の名を口ずさむ

すべてをさらう強風に乗せ


命の意味を知らないで

今もどこかで傷つく魂のために

出会い続ける喜びのために


絶えることのない

肯定のために



































・・・それでもあまりにも痛いので、いっそのこと中毒になってしまいたいと思う。痛みのありかは分けて感じることができない。きっと私という存在そのものが痛むのだろう。なぜなら問題と呼べる問題は決して表面上で起こってはいないからだ。そしてとるべき薬がない。

| 未分類 | 03:07 | トラックバック:0コメント:0
外側も内側も 美しいモノトーンに染まる

優しい終わりが訪れるところまで

たどり着かなければならない


毎日こころが重いから

それを押し潰してしまいたくなる

ひとつなくなったところで

不在を感じるものなどいない


生への欲求 取り繕った明朗さ


どのくらい孤独になっていいのか

わたしは分からずに

傷つくよりも

傷つけることを恐れ


使い古された言葉をよみがえらせるため

毎瞬 効き目のない呪文をかけている

































































| 未分類 | 22:21 | トラックバック:0コメント:0
またしても Nature と Human の問題に落ち込んでいる。卒業論文の最初と最後のエピソードを何で初め、何でしめくくったか、もし覚えていてくれるならば話は早いと思う。「地図」― 認識されていないものは地図に描くことはできない。そして私たちはわたしたちの手にする地図に、やはりユートピア/理想郷を書き入れるのだろう― その言葉を持ち出した契機は覚えていないけれど。

意味が氾濫していながら、何も意味を持たなくなった世界。そこここに身をたゆたえながら、私たちは本当の「意味」というものを探している。私の言葉は何も起こすことができない。誰が語る言葉もことごとく理性でがんじがらめになっている。それが豊かな恵みだとしてもそうでないにしても・・・ 「行間を読む」「空白を見る」大切なものはいつも余白に残されている。そう書き記した自分の言葉の「意味」が、今になってようやく分かった。


少し外を歩いてこようと思う。

毎日、日本人であろうとしなければ私はもはや日本人ではあり得ない。
毎日、私がわたしであろうとしなければ、私はたちまち空洞へと吸い込まれてしまう。

跡形もなく。






























| 未分類 | 03:54 | トラックバック:0コメント:0
self
私がわたしのままで、あなたがあなたのままで、ほかのなにものにもなれない。

魂はいつも何かと何かの間で揺れている。すべて覚えている。便箋の真ん中に書かれた一行を探して長い空白を埋めていく。わたしの万年筆。雨は今でも降り続けているのだろうか。

私がつねに持ち歩いているもの。どこにいても失われないもの。何も私を制限していない。誰も私を強制していない。私が嘘をついているかどうか― 私以外の誰にそれが判断できるだろう?

正直に生きるということの意味。自分が自分に正直であるのかどうか。自分で自分を偽っているのかどうか。それは誰も立ち入ることのできない領域。抑圧されているものも、芽生え始めているものも、進行しているものも、葬られたものも、すべては自己として。

美しく生きること。まっすぐであること。何に関わらず自己を自己に照らし合わせて生きていくこと。何が正しくて何が正しくないのか。

私以外に誰がそれを知っているだろう?




































| 未分類 | 04:49 | トラックバック:0コメント:0
10月7日
10月7日(じゅうがつなのか)はグレゴリオ暦で年始から280日目(閏年では281日目)にあたり、年末まであと85日ある。

―ウィキペディア



私のこころに、恐ろしく冷たいものが迫っているのを感じる。

Ignorant/neglect;

人を殺すのはいとも簡単だ。相手の従事している時間軸また空間軸から完全に距離を置いていること。返答を行わないこと。一切のコミュニケーションを断っていること。無視とは主体が主体としての働きかけを行わないということの前に、可能性としてある他の主体の客体になることを拒むところに生じる。つまり他を主体として認めないこと。主体になりうる相互関係を完全に奪い取ってしまうこと。

それは抑圧の形態でも配慮ある沈黙でもない。それはもっとも周到かつ手っ取り早く用意された殺人である。







































| 未分類 | 09:10 | トラックバック:0コメント:0
炎の明るさと暖かさを知っている者。灯りを点せば、どんなに小さな光でさえも十分なのか理解することができるだろう。絶対的に暗い闇に身を置いたまま、光を探す術すら知らない者がいる。彼は闇が伝染するのを怖れている。闇を光の中に持ち込むことを二重の意味で怖れているのだ。ひとつは光を破壊してしまうことを怖れるため。またひとつは光によって破壊されてしまうことを怖れるため。光も闇も、それを意識するとき、すでに彼はもうひとつのものに包括されているということに気づかない。

「どちらのものについても疑う」ということ。光を疑い、闇を疑う。「どちらのものについても信じる」ということ。光と闇と、そこから昇華しうるものは何か?そこに可能性が無いのなら、私たちは存在することすらできないだろう。誰もがその意識において闘っている。


すべては絶対的な終わりを迎えることも、絶対的な始まりを再び迎えることもできない。流動的な関係性の中で、私たちはゆっくり、ゆっくりと彼らを学んでゆく。今日は笑いで満たされ、明日は悲しみで溢れるだろう。それが私たちの生であるから。

組み込まれた連鎖の輪から抜け出せないでいる、その飽き飽きするような連続性こそが真に人生と呼べるものかもしれない。私たちは何度も同じ悲しみを繰り返し、同じ喜びを繰り返し、同じ憤りを繰り返し、同じ許しを繰り返している。私たちが何かを感じることができるとき、私たちはそれを人間の総体から借り出している。まったくの個でありながら同時に共有されているもの。まったく孤独でありながら私たちが原初から常に属しているところのもの。血のように流れるもの。










































| 未分類 | 10:33 | トラックバック:0コメント:0
彼はほど遠いところにあり私は触れることも、声を聞くことさえかなわない。私を包みこむのはいつでも人間の暖かな手ではなく、私を投げ込む恐ろしく厳しく凍えるような手なのだ。人間を殺してしまうような人間になりたくない。

少しの間うずくまって泣いてみることも私は自分に許せない― そしてただ、「またか。」と思う。ひとつひとつの動揺をすみからすみまで感じてみるような、そういう時間の使い方ができないのだ。焦っているのではなく、実際の時間が無いのでもなく、すべてに関して費やす時間を無駄としか思えなくなっている。つまるところ世界はなんでもよくて、きっと私の人生も相対化されてしまったのだろう。

私はある朝、私から抜け出て私というひとつの人生の行く末をまったく投げ出してしまう。もはや私は私としての私の存在を認められなくなる。そこに主体としての「私」はもういない。ただつまらないドラマを見ているような平坦なスクリーンがそこに繰り広げられるだろう。そこに私はエキストラとして― 主人公不在のドラマのエキストラとして画面にほんの小さな汚れを残す。数秒間のうちに通り過ぎる影。

私の中心に私がいない。何かを選択する必要もなくなった。

人間にはこういうものが存在するだろう― 「運命」それは人々が思っているようなドラマティックなものでもロマンチックなものでも、考えているほど重々しいものでもない。ある日あなたは気づく。もはや自分が何も選択していないのを。予測されるシナリオの延長線上に投げ込まれていることを。「トリックボックス」:画面に映し出される影を目で追う。画面の向こうにはたいした仕掛けがあるのだろうと思い込んだまま、ただ画面を見つめ時間が経過してゆく。

仕事はただひとつしかない。健康のメンテナンス。早寝早起き、食生活に気をつけ、適度の運動と、円滑な人間関係と、小さな幸せに気がつける感性を失わない主義。安全でクリーンで完璧な、生活。人々はまったく外側の文脈にて議論を進めている。

何があっても「動じられない」状況。あらゆる身体が市場に運ばれていく。現代に生き残った古い神々しか善悪を判断することができない。私もまた市場に運ばれるが、買い手がつかないので仕方なくもといたところへ戻ってくる。自由の反逆:間もなく誰もが自由をひとつの悲しみとして恐れるようになるだろう。

ただ脳内だけが過去の幸せな記憶で満たされている。それは今にも起こりそうなほど鮮やかで朗らかだ。

たくさんの幻影を見るようになった。







































| 未分類 | 05:51 | トラックバック:0コメント:0
私たちが何を犠牲にしてまでも、達成しなければならないこととは何だろう。一瞬にして私の存在、私の価値、私の思考は吸水口に吸い込まれてしまう。自らのしていることに確信や自信が持てないということではない。「私たち」が到達しなければならないところ―

日々の雑事はとても簡単な方法で、世界にベールをかけてしまう。何の刺激も無い世界。一寸たりと押すことも引くこともない世界。私の目はますます曇る。水かさはどんどん増してゆく。

溢れ出したものが誰かを浸してしまわないように― その程度の優しさ?と呼べるものくらいは残しておくべきなのだと言い聞かせる。

もはや沈殿した圧力を感じることはできない。

誰かが私を指差して憐れむ。

私はそれを愛として受け入れる。



「として」。






























| 未分類 | 18:15 | トラックバック:0コメント:0
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PROFILE

☆
☆Author: 久美子
生まれ変わるなら、星か鳥になりたいと思う。
地上に「愛」が存在するならば、すべてを愛し、すべてに愛されたい。
命の灯をともして、日食の闇に、うごめく。



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