<ECLIPSE>

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卒業式
ありふれた人生。


私はそういう人生が送りたくて、ここまで来たのかも知れない。私という人生の中の特別な一年が欲しかったわけじゃない。ただ、日本でちじこまってしまっていた自分をどうにか、ありふれた人生に触れさせたかったのだと思う。笑ったり、泣いたり、そういうことがどれだけ本気でできるか。どれだけ心に吹き渡る風を感じることができるか。苦しいときもあったけれど、息苦しくはなかった。息切れしたときもあったけれど、それはちゃんと走ったからだった。


駆け出した心を抑えられなくて焦っていた一昨年の夏。まだ見てもいない世界が恋しくて、まだ会ったこともない人が恋しくて、心が飛び跳ねていた夏。私はなんだか明日の遠足が待ち遠しくて眠れない子供みたいだった。今、ひとつの区切りに差し掛かってまた、私は同じ気持ちに切なさでいっぱいになっている。私はこれからも出会うべき人に出会うだろう。その予感だけで毎日走っていける。


神様に手を引かれ。私が仕方なく神様と呼んでいるものは、「運命」という言葉では足りない偶然を与えてくれる。街角に思わずその面影を探してしまう人や、ふとした言葉からその口癖を思い出す人や、なぜか突然夢に現われる人。私が出会うべくして出会った人々。忘れたい思い出と、忘れたくない思い出をくれる人たち。ひとつひとつの出会いが愛おしくて、ひとりひとりの人生が素晴らしくて、嬉しくて涙が出る。


Would you think life is beautiful?


私は、美しいと思うよ。




まだ甘アマだけどね。






















































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| 未分類 | 11:29 | トラックバック:0コメント:0
今日、レイスターでは雪
人生をコントロールしようなんて、よこしまな考えはもう捨てたんだよ。伝えたいことはたぶんほとんど伝わらないだろうし、伝わらないならそれはそれでいいと思ってる。

髪を洗った後にメガネをかけていたら、それを見たことがなかったというフラットメイトから普段と全然違うと驚かれた。なんでも無駄に学者風に見えるらしい。そんな風に見えないメガネ探し、急務。

過去の小さな粒つぶしたことを突然夢の中に思い出す。雪の中、目白駅まで歩いた朝。過去はなぜいつもサイレントなのだろう。

「不機嫌はひとつの罪悪」であると言ったゲーテよ。

人の顔はなかなか思い出せないのに、声だけはよく覚えている。

・・・アンチ面食い?


人魚姫のあぶくみたいに、日々ははじけて消えていってしまうんだね。

私は、誰よりも自由でありたい。

広げた傘が色とりどりに雨を受け止めたら、シラナイおんがくが心を満たしていった。空っぽのグラスにきれいな水を注ぐように、何かが溢れてこぼれそうになる。そこには悲しさなんてない。ただ、あふれるだけ。

蛇口をひねらない。私はそうしたい。ただ、あふれるのを目撃していたい。






































| 未分類 | 09:50 | トラックバック:0コメント:0
The Tower of Babel
「楽しむ」ってどういうことか、近頃よく考える。食事も、服も、読書も、人との関係も、生きていること自体を。必要なものではなく、他人の目を気にするでもなく(他人の目というのは往々にして自分の目なのだけれど)、ただ自分にとって楽しいということ。それをとにかく自分が楽しめるということ。

ずっと前から、遊びというのは真剣にしようとした途端に遊びでなくなると思ってた。けれどもしかしたら遊びというのは真剣にするものなのかもしれないと思うようになった。






今月末GREを受ける友人が I feel empty と言うので、じゃあそれを埋めるために何が必要なの?と聞いたら Vocablary という返答。なかなかやるな。



そう、語彙が足りないのだ。















































| 未分類 | 06:08 | トラックバック:0コメント:0
たぶんもう迷っている時間はない。そのはずなのに私は、まだ来ぬ空白のために迷っている。生活というものにはいつでも改善の余地があって、多すぎる選択肢に眩暈してちょっと気持ち悪くなる。人間は「なりたいものになる」のだ。


気がついてみると頭の中はいつも空っぽで、何一つ覚えも忘れもしていないような気がする。ふと卓上に視線を投げてやっと私は私であることに気づく。たぶんこの薄紫のフレームのメガネは私用に調節されているだろうし、7年間も使っている腕時計は常に私のそばで時を刻んできただろう。中途半端に開かれた本はさっきまで私によって読まれていたのだろうし、ノートの雑多な走り書きはきっと私によるものだ。こういう意識のとき、私はモノによって保証されている。私のペン、私の睫毛、私の指、私の名前。

自己紹介をするときのちょっとした違和感―My name is Kumiko 自分で自分の名前を呼ぶとき私は思う。「私は本当にKumikoなのだろうか」。私という存在が疑わしいのだ。無造作に投げられたボールが描く放物線のように、私は弧を描いて日常へ沈んでいく。スローモーションで傾いていく世界に目を凝らしながら。中空にいながら、軌道は決まっているようなのだ。倒れる先には羽毛が雪のように敷き詰められ、周到に私を待ち受けている。深く、優しく、無数の純白の羽に抱き取られるようにして、その体は次第にすっかり覆われてしまい、もはや誰もそれを見つけることができない。かつて「私」であった匿名の体。

夢のようなそんなシーンに、もしかしたら私は天国を見たのかもしれないと思う。地上の墓碑に刻まれた人々の名前はきっとこの世で最後に唯一、残せるもの。匿名の体、とくめいのからだ―そんなものに憧れを抱きながらも、やはり私はまだ生きているのだから生きることを考えなければならないと思い直す。例えば幼いころ母に引かれた手。大切なひとを抱きしめた腕。この地上のあちこちを歩き回った足。私の体にはいろいろな染みや歪みができている。私のメガネは相変わらず私用に調節されているだろうし、万年筆の先は私に持ちいいように削れているだろう。


大量生産・大量消費の時代にあって、私は本当に選べる人間なのだろうか。選べないものはやはり、選べないのだろうか。もしかしたら全然違うことが出来たかも知れない過ぎ去っていく今を思いながら、私は私という人間の可能性について考える。人間は「なりたいものになる」のだ。
















































| 未分類 | 09:26 | トラックバック:0コメント:0
振り返ったら、何かが終わると思っていた。

もう前に進まなくなったとき、そのときが唯一過去の方へ向き直るときだろう。そう思った。振り返りたいけれど振り返れなかったわけでもなく、振り返ることで生じるかもしれない弱さを恐れていたわけでもなく、ただ、通り過ぎたことなんて本当にどうでもよかった。

時々私は奇妙な感覚におそわれる。陽が上りも落ちもしない終わらない真昼に。まるで今日生まれたばかりのように、過去という時刻がすっかり溶け去ってしまっているのだ。抜け殻すら見つけることができない。はじめ「過去は未来と同様に不確かなのだ」という言葉が浮かんで、それは違うとすぐに分かった。今この瞬間に向かい続けている乳白色の時間は、通り過ぎた時間とは比べ物にならないくらい確かなのだ。


本当に歴史が勝者によって書かれるのなら










なぜか思い出す冬。


デパートの中の乾いた空気。私と世界はいつも半透明の皮膜で隔てられている。すべてのものから疎外するその皮膜をいつも眺めているんだと思う。


























































| 未分類 | 20:59 | トラックバック:0コメント:0
あとはとにかくやるだけ
女にはきっと、女であることを、尻込みの理由にしてしまうときがある。女が男より劣っているなんてこれっぽっちも思っていない。女であれ男であれ人間としてなすべきことは同じだと信じている。だから、女であることを理由に少し自分に歯止めをかける瞬間がある。

社会的マイノリティと呼ばれる人々が、自らがマイノリティであることを認識し、その意識によって自分を抑制してしまうこと。それは初め外部から押し付けられた知識であり、それはいくらかの体験によって強化された知識となる。自ら思うよりもずっと深いところに根は張られていく。

・・・

人はすでに作られた基準によって世界を測る。

・・・

私たちが限界と呼んでいるものはたぶん、自らに押し付けている歯止めだ。限界を感じたら、人々はもうそれ以上をあきらめる。限界を据えることで、自分に見切りをつけることができるのかもしれないから。もちろん物事には、見切りをつけたほうがいいときもある。常に執念深く粘ることが必ずしもいい結果を招くとは限らない。しばしば転換が必要である。けれど限界が見えたとき、それはその限界を乗り越えられるときでもあるだろう。限界を感じられるのは、そこにそれ以上を見ている人々だ。すでにヴィジョンは鮮やかである。何を達成すべきかが分かっているのなら、つまり越えたいと思う「限界」が見えているのならば、あとはそれを乗り越えるまでやるだけだ。







限界は、終わりではなく始まりである。


















































| 未分類 | 11:40 | トラックバック:0コメント:0
alternative
もし私たちが世界を変えられないのだとしたら?

「なぜ変えられないのか」よりも、「なぜ変えられないと思うのか」を考えなくてはならない。人々は言う。教室や社会と呼ばれる檻の中で教えられた、歴史の記憶や人生の経験とやらにもとづいて。「他に選択肢はない」「そうは言っても」。私たちはほとんどの場合、始める前から始める意志を挫かれている。何も変えることなんてできない。自分にできることなんて何もない。その無力感こそが世界を覆うまやかしによって押し付けられたものだと、どれだけの人が気がつくだろう。

世界は巧妙につくられた。何十億本の糸で絡め取られている。自由という言葉は、実践されるためにある。





































| 未分類 | 20:24 | トラックバック:0コメント:0
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☆
☆Author: 久美子
生まれ変わるなら、星か鳥になりたいと思う。
地上に「愛」が存在するならば、すべてを愛し、すべてに愛されたい。
命の灯をともして、日食の闇に、うごめく。



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