<ECLIPSE>

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
| スポンサー広告 | --:-- |
わたし 1
幼い頃のはなし。

祖母の家に行くと必ず一緒に出かけるデパートがあった。「ユニー」日吉店。2階建ての小さなデパートは、今ではもう時代遅れのような気がして、学部生のとき祖母の家に下宿させてもらったときも毛糸をたった1度買いにいったくらいしかない。たんすによじ登り降りしていたやんちゃなあの頃は、下から息を吹き出してボールを浮かび上がらせるキセルのような原始的なオモチャにはまっていて、酸欠になるまで祖父に遊んでもらった。世界はとてつもなく大きくて、危険に満ちた「外側」だった。

お茶を飲んでお菓子を食べてお茶を飲んでひと段落すると、待ちにまったユニーの時間。私はタイミングを逃さずに「ユニーに行こうよ!」と言う。父の車に乗ってしか道筋をたどれない「遠く」のデパートは、宝モノがたくさん詰まった箱みたいだった。とにかくそこに行けば私を楽しませてくれる何かがある。祖母が私に、「くみちゃん、何が欲しいの?」と聞くと、私は決まっていつもこう答えた。

「いってみなくちゃわからない。」

今考えてみるとめちゃくちゃな答えだと思うけれど、それが私にとっての、人生ではじめての真実だったかもしれない。何が欲しいかなんてわからなかった。ただ、何かがほしいということだけが分かっていた。行って見てみなくちゃ、何が欲しいかなんて分からない。それを見つけてはじめて、それが欲しかったのだと分かる。私の人生は今でも、そんな理屈で動いている。


“―ちょうどそれは、文書を書いているときに、言葉を探していて、「これだ、これこそ、私のいいたかったことんなんだ」と言うのに似ている。そういうふうに承認されることによって、その言葉が、発見された言葉、つまり探されていた言葉であるというお墨付きをもらうのだ。(ここで、こんなふうに言ってしまってもいいだろう。「発見してはじめて、自分がなにを探していたのか、わかるのだ」―これは、願望についてラッセルが語っていることに似ている。” 
―ヴィトゲンシュタイン


大学で知り合った友人が、いつだったか「民衆」だか「群集」だかという言葉について話していたときに、「彼らは自分が何を欲しているのか分かっていないのだ」みたいなことを言った。その言葉がなぜか何度も繰り返し戻ってきて、ずっと考えていた。迷ったときには特に、自分が何を欲しいのか分からないことに苛立ちを覚えたりして。つまり、何が欲しいのか尋ねられたとき、自分が何を目指して生きているのか尋ねられたとき、はっきりと答えられないということが、私にとって大問題だった。

けれど今、やはり「分からない」と答えることが一番正直であると私は思う。私はわたしがどんな人間なのか、ふたことみことで説明できるほどシンプルになりきっていないし、まるで一貫性のないことを罪だとも思わない。ありとあらゆる形容詞をこの身に引き受ける覚悟がある。机の上に散らかった色鉛筆、ケースの中の隣り合わせの赤と青。そして、自分にするのと同じように、いつも透明な目で人を見られるように。そんな心がけをしていたって、何かしらの色が仲介してしまうのだから。

もうひとつ、祖母が繰り返し語る私の口癖は「やってみなくちゃ分からない」だった。人生は「行ってみなくちゃわからない。」そして「やってみなくちゃわからない。」たとえ失敗ですら、しないよりはマシだ。本当にそれを確かめるまで、自分が満足できないのなら。先人たちが老婆心とひねくれた自慢と本物の後悔から警告する。そのうちの8割は、他人の経験から取り入れた証言にすぎない。

何が起こっても、100年後には確実にこの世界に私はいない。





































なぜデパートの間口はあんなに広いのだろう?








スポンサーサイト
| 未分類 | 16:57 | トラックバック:0コメント:0
種子
どんな音楽も似合わない、暗い夜。私はひとり、真っ白な光に曝されながら重厚な書物のページをめくる。なめらかに印刷された文字の隙間から意地悪な著者が顔をちらりとのぞかぜ、その度に私は比較的誠実に、足を組み替えてゆったりと構える。額に持っていく指さきから、さっき食べたセロリの匂いがする。

夜の散歩。外気から隔てられた車の中から、寒い街が見える。貧弱なイルミネーションでかろうじて彩られた街。枝を覆うまばらな光の点は木々の黒さを引き立てている。冬の、墨を流したような薄い空。私は存在の耐えられない軽さを思う。

気がついてみると、私はわたしからするりと抜け出して、まったく私でなくなっている。わたしでもあなたでもない、第三者の眼差し。そんな妄想でしかない眼差しの地点に私が「わたし」と呼んでいるものは飛ばされてしまう。私はまるで世界に組み込まれた一つの部品のように、滑ることも転ぶこともなく呼吸を続ける。歴史の一コマ、エキストラですらない、画面外の登場人物。その役には、名前がない。

すべてが予想内の会話。さして意味をなさない会話を日々繰り返しながら、私はその予測可能性に少し、驚いてしまう。人間は、思うとおりにいかないときよりも、思うとおりに物事が進むときにこそ眩暈するものだ。組み敷かれた石の先で、池に落ちる。私は軽やかに跳び越えていくわたしとあなたを池の淵に座ってただ眺めているたけで、もうその先に石が無いことに、声をあげたりしない。すべての儀式は、確信に満ちた犯罪によって行われ、罪はついに水の泡となる。私はともに対岸に立つ共犯者が欲しい。

さもなければ生は退屈に耐えざるものだろうから。


















































| 未分類 | 21:54 | トラックバック:0コメント:0
| ホーム |

11 | 2007/12 | 01
S M T W T F S
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
PROFILE

☆
☆Author: 久美子
生まれ変わるなら、星か鳥になりたいと思う。
地上に「愛」が存在するならば、すべてを愛し、すべてに愛されたい。
命の灯をともして、日食の闇に、うごめく。



RECOMMEND
  • SELECTED ENTRIES
  • (12/07)
  • (11/19)
  • (07/19)
  • (06/23)
  • (05/27)
  • CATEGORIES
    ARCHIVES
    RECENT COMMENTS
  • TAKK (03/23)
  • TAKK (07/04)
  • kumy (06/09)
  • TAKK (06/08)
  • ash (02/14)
  • (01/01)
  • kumiko (12/07)
  • RECENT TRACKBACK
    LINKS
    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。