<ECLIPSE>

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
| スポンサー広告 | --:-- |
言葉は奪われている。ことばは、私たちに与えられてはいないのだ。歩くことと同じようにまるで自然に話すことを学んだが、それはいつも決して私のものにはならなかった。それは所与の人間のしるしでも、淘汰によって変化していくものでも、有用なコミュニケーション手段でもない。そうである以前に、それは私たちから奪われている。容易く失われるもの。独自の形態であるもの。気がつかないうちにひどく損なわれるもの。言葉はいま、恐ろしいものとして私に対面する。私はそれによっていま、私の死んだ瞬間を刻み込んでいく。書くこととが時間を紡いでいく。

もう一度、いや、はじめて、言葉と真剣に向き合わなければならないと思う。それはたぶん、私の中で意図的に引き延ばされてきたものだから。誰かに伝わることに甘えて生きてきた。何かを書ける状態が当たり前だと思って書いてきた。でもきっとそうじゃなかった。言葉は自然にどうにかなるものではない。今までほんとうに読んだり書いたりしたことが、果たしてあったのか。言葉だったのか、音楽だったのか。それぞれの言葉でつくられた世界、モノ、あるもの、ないもの、エネルギー、響き、手ざわり、自分のフィルターで感じてみる必要がある。そうしたら私に何ができるのか、少しは分かるかもしれない。




























スポンサーサイト
| 未分類 | 05:07 | トラックバック:0コメント:0
突然さしたるきっかけもなく気がつくことがある

わたしは自由だと


わたしの見逃している世界がたくさんある

そんな世界の住人を見つけると

純粋にうらやましい


彼 彼女 またはそれのもっているものは

地位 お金 足跡 希望 またはその他のその他ではなく

彼は彼の空を 彼女は彼女の風を

光を 生きているのだから


でも 私は自由なのだから

きっと、いつか見つけられる
















| 未分類 | 17:50 | トラックバック:0コメント:0
最近、自分で思っていたより私が弱かったり強かったりして、予想を裏切られることが多い。私のやっていることはたぶん、半分仕事で、はんぶん遊び。大袈裟な大義のために生きているわけではないし、忙しいといいながらも自由なのだし、世界にはもっと辛い思いをしている人も、頑張っている人も、これ以上ないくらい努力している人もいるだろう。私はいつも自分にないものを欲しがって、世の中の不公平を嘆いてみたりもして、身の置き場のない自分を責めてみたりする。例えば私から今やっていることを取ったら、何が残るだろう。ただでさえ説得力のない、哲学の私への痕跡のようなものを取りあげたら、私は一体何ができるだろう。選んでしまった自覚も、依存している認識もないまま、あまりにも疑いなく歩いてきてしまったことに対して、いまさらになってはじめてそんなことを問う。形になっていないのなら、まだ存在していないのなら、あきらめることもできるだろう。たぶん、私は何を失ったかなんて、気がつくことはないだろう。手に入れてから、もしこれを失っていたらと思うことはあっても、手に入らなかったものを、たぶん私は一生、それがどのくらい貴重なものだったのかも、またはそれが予想外に些細なものだったのかも、知ることはないだろう。

きっと私は、予想もつかないくらい無菌室のような状態にあるから、そんなふうに考えられるのだろうと思う。もし何らかの形で、本を読むことや考えること、書くことなどが不可能な状態になったら?わたしは何を後悔するだろう。日常の他愛もないおしゃべりや、意味のないようなやりとりや、何気なく過ぎていく、家族や友人との日々を愛する私は、果たして今以外の生活状況を選ぶことができたのだろうか、または選ぶべきだったのだろうかなんてことを考える。今のわたしは、間違いなく以前のわたしが望んでいた私であるはずなのに。

私はいったい、何と闘っているつもりなのだろう。
私にはいったい、何ができるというのだろう。


つくづく思うことは、強くなりたいということ。そして私の強さも優しさも、そしてきっと弱さも、私の愛するひとたちからもらったものだということ。私の生きているこの一日は、何ものにも変えがたい価値がある。それは彼らが、たぶん、私と同じように悩んだり泣いたり笑ったりして、同じ一日をめぐっているから。とりあえず今日はこころを楽にして、たくさんもらったエネルギーを集中しよう。



















| 未分類 | 20:24 | トラックバック:0コメント:0
ほとほと自分勝手なわたしがここまでやってこれたのは、私を支えてくれている人たちのおかげ。数年前は怯えていたし、何かを欲しがってばかりいたし、冷たい壁から離れられずにいた。自分ひとりで世の中に立っているつもりでいた。

ただひとつ、盲目的に信じていたこと。それは漠然とした幸せだった。たぶん、こころの奥で、私は一瞬もそれを疑ったことはなかった。大人になることに悲観的な態度で抵抗していても。信じるというひとつの動作がいつもわたしを導く。私は会うべきひとに出会う。私は自分がやるべきことをやっている。

本当に欲しいものと、本当に楽しいことと。そういうものがわかると、幸せ。

時間とか空間の括りなんて問題にならない。

疑うことにメリットはない。










| 未分類 | 23:46 | トラックバック:0コメント:0
| ホーム |

04 | 2009/05 | 06
S M T W T F S
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -
PROFILE

☆
☆Author: 久美子
生まれ変わるなら、星か鳥になりたいと思う。
地上に「愛」が存在するならば、すべてを愛し、すべてに愛されたい。
命の灯をともして、日食の闇に、うごめく。



RECOMMEND
  • SELECTED ENTRIES
  • (12/07)
  • (11/19)
  • (07/19)
  • (06/23)
  • (05/27)
  • CATEGORIES
    ARCHIVES
    RECENT COMMENTS
  • TAKK (03/23)
  • TAKK (07/04)
  • kumy (06/09)
  • TAKK (06/08)
  • ash (02/14)
  • (01/01)
  • kumiko (12/07)
  • RECENT TRACKBACK
    LINKS
    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。