<ECLIPSE>

タイトルなし | main | 日記らしい日記を書く試み
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
| スポンサー広告 | --:-- |
メリハリ
確かバージェスの『1985』に、「何もしないことも、罪なのだ」という一節があったような気がする。何かして背負う罪ではなく、何もしていないからこそ背負う罪。積極的に何かすることだけが、失敗や後悔、または社会的犯罪などに繋がるわけではない。もちろんそれは具体的に罪が表れた状態ではあるけれど、「何もしないことも、罪なのだ」― 

動かずにじっとしていれば、何も起こらない。自分が決めないうちは、そして自分が行動しないうちは何も起こらない。スタートしなければ何も始まらない。果たしてそうだろうか・・・?


大切なのは、人間の行動は常に積極的でしかないということを理解しておくことだ。生きている限り、人間に「何もしていない」状態はない。「何もしない」でのんびり過ごそうと思うのならば、それは積極的に何もしないことを選んでいるのだから、それを快く楽しむのがいい。けれど、もし「何もしないまま過ごしてしまった」と後悔するような休息をとれば、余計に心を疲れさせる。「自分が今何をしているのか」を意識することはメリハリをつけるということであり、それは限られた時間をどう使えるかを考える、向上心の表れでもある。

また

沈黙は雄弁である。
何もしないことも、何かのメッセージになる。


また

お金をどのくらいかけるか、ということはその基準にならないが、
時間をかけるということは、愛することに似ている























スポンサーサイト
| 未分類 | 13:43 | トラックバック:0コメント:2
コメント
何もしないことを選択したのなら、その選択は意義を持つはずです。


こちらの生活の中のキリスト教的発想の中に、救済する事が義務であると叩き込まれた人たちのジレンマが見えます。また、それを見ている自分にもジレンマを感じます。何かをしなければいけない、と思う。。。。
又、なにかをしたことで、自分自身が安心する事も出来る。

その辺の判断は個人の物ですが、案外簡単ではありません。

しかし、何もしない事が罪だとは言い切れないと私は考えます。

2005.11.09 Wed 03:13 | URL | seedsbook
私も、何もしない事が罪であるとは思いません。

ただ何もしないことを自分で選択しているという自覚を持つことは大切だと思います。友人が「休止してしまうこと―なにもしないことに罪悪感を持ってしまう」、つまり無為に過ごしてしまった時間をいつまでも後悔してしまうような癖があるという話をしていたので、そんなことはないのではないか、むしろ積極的に「なにもしない」ことを選んでいる意識がないからこそそれは「罪」になってしまうのではないかと考えました。

確かに・・・引用文はキリスト教的発想が色濃いですね 
2005.11.09 Wed 21:55 | URL | ☆
コメントする













管理者にだけ表示を許可する

この記事のトラックバックURL
http://espilce.blog17.fc2.com/tb.php/134-8d601b0b
トラックバック
| ホーム |

10 | 2017/11 | 12
S M T W T F S
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
PROFILE

☆
☆Author: 久美子
生まれ変わるなら、星か鳥になりたいと思う。
地上に「愛」が存在するならば、すべてを愛し、すべてに愛されたい。
命の灯をともして、日食の闇に、うごめく。



RECOMMEND
  • SELECTED ENTRIES
  • (12/07)
  • (11/19)
  • (07/19)
  • (06/23)
  • (05/27)
  • CATEGORIES
    ARCHIVES
    RECENT COMMENTS
  • TAKK (03/23)
  • TAKK (07/04)
  • kumy (06/09)
  • TAKK (06/08)
  • ash (02/14)
  • (01/01)
  • kumiko (12/07)
  • RECENT TRACKBACK
    LINKS
    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。