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苦痛と快楽 | main | ぬけがら
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限界と可能性について身体から
昨日は高校時代の部活の飲み会だったから、それに関連して身体の話を書こうと思っていたのに、違うことを書いてしまった。というのも帰りの電車の中でなぜか突然蝶のイメージが浮かんだからなんだ。「突然」脈絡のないことが自分の思考に表れることがよくある。探していなかったのに、前に失くしたものが突然ついでに見つかる感じだ。

高校時代は機械体操部に入っていた。サッカーとか野球とかバスケットボールに比べればかなりレアな部活に違いない。だいたい機械体操の器具はどれも高価で、有名なところでなければなかなか買ってもらえないから器具が古い。それでも体育の授業で「マット運動」とか「跳び箱」があるからそういうものはそろっている。私の高校では、人数は少ないながらもずっと体操部が続いてきたので器具はちゃんと一式あった。

体操部というと、あの『タッチ』の南ちゃんがやってるのと間違われることがよくあるけれど、あれは新体操だ。新体操は手具といって手に何かをもって演技する種目で、体操は器具は使うけれど実際に演技するのは自分の体一つのみ。私は団体競技とか、ボールとか何か使ってする運動より個人競技で自分の体しか使わない運動が好きだ。走るだけ、とか跳ぶだけ、とか 笑。その単純さがいい。だから小学生のときは新体操をやっていたけれど、中学になって始めた器械体操の方が合っていたんだと思う。

器械体操は試合だけ見ればとても華やかな競技だ。友人たちにもよくあんなことできるね、と驚かれた。しかし、どんな競技でも同じだが、体操でたった1分半の演技をするために地道な練習をじっと重ねる。体の線から、踏み切りのタイミング、着地の位置など、完璧な演技をするには非常に繊細な感覚が要求される。頭で考えて何かするということができない。体がそれを覚えてしまうまで、何度も何度も繰り返す。体操はとてもストイックな競技だと思う。そういうストイックさから生まれる人間の身体、その演技はとても美しい。

そう、体操に限らず、運動している人間は美しい。流動する身体、人間の身体の可能性を極限まで高めようとする意思。それはプロに限らず、自分の体をコントロールし何かをするという行為はどんなひとも美しく見せる。その頂点にあるアスリートたちは勿論、近所のプールで泳いでいるおばちゃんを見てもそう思う。いちいちそんなことを考えて運動している人はいないかも知れないけど、身体の可能性を最大まで高める行為は、よく言われるように「自分との闘い」ではなくて、「人間への闘い」であるように思われる。楽しさと目標とかそういったこととは別の次元で、実際にそういうことが主眼であったとしても、根本的に運動は日常的な他の行為― の延長線上にあるというか繋がっており、同一のものだと思うのだ。

ここで物心二元論を持ち出して、それがつまるところは精神への闘いなんだと結論づけたら、全然面白くない。身体に頼るのでもなく、無視するのでもなく、個の人間の身体を自分のものとして捕らえることが大切なのではないだろうか。つまり、それは「人間の限界」と「自分の限界」を知ることだ。精神の限界ではなく(そんなの分からない)、物質としての人間の身体の限界。限界を知ること=可能性を探求すること。ここで重要なのは、限界は固定するものではなく、自分が現時点できることを現実的に見極めるということだ。そして、将来に向けての可能性を探り続けていくことである。

限界と可能性をよく心得ているひとは非常にバランスがいい。そういう人間は、滑稽な夢想ではなく強く希望的な未来を描ける。それは現実を把握し、次に何をしたらいいのか、自分がどうしたらいいのか知っているからだ。無謀なことに飛び込んで潰れてしまうこともないし、かといって堅実になりすぎて小さくまとまることもない。本当にその人に合った生き方をしているような気がする。私は、このバランスを身につけるのには身体を媒介するのがいいと思っている。なぜなら、思考だけで限界と可能性を知ろうとする試みは危険であり、現実を見失いがちだからだ。ユートピアの失敗にも暗にそれが関わっているのではないかと推測している。

類は友を呼ぶのかどうか知らないが、大学の友人には考えが煮詰まって悶々とするタイプが多くて、そんな時はとにかく歩くことをすすめている。運動が嫌いなひとでもできるし、「歩く」のはとても基本的な動作だと思うから。特に自分の進路を決めたり、高校生だとテストの前とか、何かやらなければいけないことがあるのにできず、嫌悪感と焦りだけが募っていくような時期に、そういう人間は不機嫌になってふさぎこみがちだ。けれど、停滞している考えにいつまでもはまっているよりも、とにかく体を動かすことを何かしたほうがいい。ツァラトストラだって長い散歩をしに出たではないか・・・ってそれは嘘かな 笑。
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☆Author: 久美子
生まれ変わるなら、星か鳥になりたいと思う。
地上に「愛」が存在するならば、すべてを愛し、すべてに愛されたい。
命の灯をともして、日食の闇に、うごめく。



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