<ECLIPSE>

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砂時計
今日、大学の近くのバオバブカフェに行ってべーグルサンドを食べた。本日のオススメコーヒーとセットで。でも私を満たしたのは香ばしい鯖とじゃがいものペーストの香りでもなくて、暖かいコーヒーでもなくて、ちょうど一年前の冬、聴き慣れたアルバムのメロディーだった。

白い水蒸気で曇ったガラスを覗きこんで、席が空いていることを確認してドアを押した瞬間、湿っぽい暖かさに触れた。そしてその暖かい空気にのせて耳に入った少しけだるい声の、ゆったりとしたメロディーに懐かしい時を垣間見た― ひとりだったらそのまま店を出ていたかもしれないけれど、そういうわけにもいかなかったから、四人がけのソファと低い机の席についてコートを脱いだ。

そのメロディは、実際私を満たしたというよりも、その空気に私を浸して溺れさせようとしたのだった。「結局私は人間の美しさに屈してしまうのだ―」誰もが持っている、人間の悪の根源というものを超えることができない。それがいかに人間らしくあろうとも・・・美を賞賛するのではなく、その前に完全に屈してしまう自分。そういう自分がたまらなく情けなく思えた。


なぜ愛せないのだろう?

― 愛そうとしていないから


「愛せない?」


こんなとき、思考回路は伝統的論理を引き出してくる。それは主体である私が「愛せない」のか、客体が「愛せない」対象なのか?そしてお決まりの答えを出す。「それは両方だ、主体と客体を分離することは間違っている―」さらに、それでもない癖の解決方法を当てはめる。「愛とは常に主体的なものである―」・・・こうして私はこの言葉に至ったプロセスを、ほんの一秒ほどの間に思い出す。

音楽は時に、否応なしにある場面や空気を思い出させるけれど、時に一瞬のうちに追体験を引き起こす。「日々の積み重ね」とはよく言ったもので、「今」以外の時間は非常に凝縮されているのではないかと思う。何日も、何年もかけて少しづつ変化し、移行してきた考えや感情は、ほんの一瞬に、眩暈のように呼び起こされるのだ。「今」はいうなればちょっとした猶予、間延びした時間の狭間に落とされた曖昧な「今」。砂時計のくびれ、そこにある「今」。




















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☆
☆Author: 久美子
生まれ変わるなら、星か鳥になりたいと思う。
地上に「愛」が存在するならば、すべてを愛し、すべてに愛されたい。
命の灯をともして、日食の闇に、うごめく。



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