<ECLIPSE>

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so be it
―いとこの結婚式。キリスト教音楽に感化されて涙を流してしまう。扉がゆっくりと開いて、彼女とその父が入場する。あまりにも短いバージンロードと、あまりに感傷的なアヴェ・マリア。ユリの花の香り。私は一瞬、自分に対して客観的でいられなくなる。たぶん、花嫁は微笑みを浮かべながら、必死に涙をこらえている。結婚に対する幻想はたぶんそれほどない。けれども、それまでまったく別の時間と空間を生きてきた二人の人間が出会い、そして曲りなりにも、生涯の伴侶として添い遂げる覚悟をすること。なぜそれが、可能なのだろう。そうして私も生まれ、きっと私の大切な人もそうして生まれ、何かの力で引き寄せられる。なぜ、それが可能なのだろう。

「かくあらせたまえ」

アーメンという言葉がこだまして光り、なぜかほっとした気持ちになる。


―ほんとうは明日の幸せも明後日の幸せも、10年後の幸せというものなんかなくて、些細と思われる今日一日を幸せに生きていくことがすべてなのだと思う。それは今がよければいいとか、刹那的快楽というのとは違って、ただ、二度と戻らない今を、幸せと思おうが不幸せと思おうが、握りしめるように実感していくこと。たぶんこの人生では二度と戻れない幸せな場所があり、時間があり、関係性があり。過去はいくらでも書き換えられるけれど、今ここに、それを取り戻すことは決してできない。戻らないのではなく、ほんとうに戻れない。


―べつに彼が悪いわけではないのに、私は彼を憎む。どうでもいいと思えば思うほど、どうでもよくなくなってしまう過去の記憶がある。そういうとき私は彼という個体を憎んでいるのではなくて、彼という個体を通して具象化されている、何か根本的に私が忌み嫌うものを憎んでいるのだ。意志も行動も常に固有性の中にしか現れない。まったく順序が逆のように思われるが、それでも私は何かを憎むとき、たぶんそれがいま誰に付随していて、どういう状態で私個人に向けられているのかがどうでもよくなってしまう。嫌悪感は間違いなく個人的な経験則から生じているはずなのに、ほとんど生得的な嫌悪であるかのような感覚にとらわれる。それは彼の悪意なのか、私の悪意なのかさえ、そして彼と私の善意なのかさえ、分からなくなってしまう。

飲み込まれないように生きるのか、飲み込むように生きるのか。


―人間は自分で思うよりよほど弱く、そして、自分で思うよりよほど強い。自分がよく分からなくなったら、あとは流れにまかせるしかない。この世には、自分で決めたことでも何か見えない力に導かれてそうなったと思ったほうがいいときと、不可抗力によってそうなったようだけれども自分で決めたと思ったほうがいいときがある。少し違うようだけれど、どちらも少しは気持ちを楽にしてくれる。




























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☆
☆Author: 久美子
生まれ変わるなら、星か鳥になりたいと思う。
地上に「愛」が存在するならば、すべてを愛し、すべてに愛されたい。
命の灯をともして、日食の闇に、うごめく。



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