<ECLIPSE>

脱線。 | main | 不確定性原理
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input-output / inhale-exhale



色々な人と話して、その生活を思い浮かべ、その葛藤を思い浮かべ、その人生を思い浮かべる。それぞれの窓の向こうに、一つひとつの魂が揺れている。地上には何十億の魂が、それぞれの炎を灯しながら、空に向かって手を伸ばし、それぞれの瞳で世界に違った色をつける。

生きる力が弱いと言われればそれまでだけど、私は知っている。私はその人々の、圧倒する命の数々を重んじることと、軽んじることを繰り返していることを。世界と私の繋がりの在り方を模索していることを。どこかから呼ばれるのを待っていること。進むべき道の選択に、私の意志は関わってこなかった、と言ったら嘘になるだろうか?しかし、事実はそうだ。来るべき時が来れば、人間は導かれていくものだと信じている。

偉大な魂は、考えるよりも多い。知識ではなく、人間的に優れているもの。しかし人々はそれを見誤るか、または真に優れた魂は多くの場合流れるように美しくこの世から去っていくのかも知れない。または、一定の線を踏み越えた人物でなければ、連れ戻されるか、叩かれるか、その存在を認めたがらない人々のために、素晴らしいものを失うか、隠すかを余儀なくされるだろう。すべてのものが相対化されることを免れない世界で、人々は優劣を判断しようとする価値観しか持ち合わせていない。それもその末に生じる結果を恐れるがゆえに、真に比較することすら回避する。(ここで低俗と高貴という観念を持ち出すまでにも至らない。)そして、すべてのものを平等に扱おうとする。果たして「平等」という言葉が何を指すのか説明できないままに、人々はそれを善とし、追い求めるのだ。

あらゆるものが価値を持つと同時に、あらゆるものは価値を失う。真に美しいものを、真に美しいと賞賛しないこころ。万物に対する「肯定」が、歪曲されて散布される。どれも確定的でない、どれも絶対ではない、極の極に対する憧れを抱けない世界。憧れを失った人間たちは、進むべき方向が分からずに、日々右往左往する。一体どちらへ情熱を傾けたらいいのか分からないままとにかくどこかへ進もうとしている人や街がたくさんあるではないか?後押しされる大きなエネルギーと抑圧される壁に挟まれた状態のまま、進んでいく。抱えている熱や力を一体どこに向けて放出したらいいのか分からないことほど辛いことはない。それは、持つものを表現する手段を持たない天才に似ている。彼の頭の中には偉大な思考が詰まっているとして、彼はそれを、絵でも、言葉でも、音楽でも表現することができないとき― その悲しみは、彼にとっても、そして他の人間たちにとっても重い。

知性は言葉に表れる、という言葉の信憑性。確かに、人間の魂は伝達するものなのだとすれば、外に表されたもののみが(output)、その人間の偉大さを示し得ることになる。それはよくあることだ。抱負な語彙を持たない作家は、伝えることができない。言語学的には、その現象が無い地域に、それを形容する言葉は生まれない。(日本の「細雪」は、アマゾンには降らない)。概念が先か、言葉が先か?どちらも、正解だ。言葉で何かを表現するとして、その単語を知っていて自分の体内にはその本質を持っていない人間が、それを伝え得るだろうか。体内に本質を持ってはいるが適切な言葉を知らない人間が、それを伝え得るだろうか。ここで明らかになるのは、手段を持たない人間と、本質を持たない人間の悲しさである。しかし、表現することが伝達を前提とすると仮定するならば、そこにはもうひとつの次元がある。それは伝達における主体と客体の「共通性」の問題だ。コミュニケーションにおいて、主体が本質と手段を伴う場合でも、その本質と手段が共に客体に共有されていない場合には伝達を損なう可能性が高い。この事実と恐れは、人に「相手のわかりやすい言葉で話す」ことを課す。それは客体への確実な伝達を求める場合には必然であり、しかし優しさの度を越えて欺瞞を招く。それは二重の欺瞞である。自己と他者への、二重の欺瞞となる。

本質にそぐわない手段は、本質を歪曲する。沈黙を守るという行為はそれを防ぐためではないか?言葉の域を離れて言えば、沈黙という行為も何かを語る。いや、その語ることは多い。人間は、あらゆるものに意味を与えずにはいられないのだ。「意味が無い」ということの本当の怖ろしさを考えたことがある人間は、その重さに気づくに違いない。あらゆる表現は、魂に、世界への意味を与えさせるものではないか?― output / exhale 息を吐き出すように、水分が体から蒸発するように、、、

人間は媒介する。取り入れ、排出する。捨てて、拾う。命の本質、生きるということは― そういうことではないだろうか。良質なものを摂取した肉体はいい細胞でできている。それらの細胞はどこまでも孤独だ。そして生きることを止めない。
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☆Author: 久美子
生まれ変わるなら、星か鳥になりたいと思う。
地上に「愛」が存在するならば、すべてを愛し、すべてに愛されたい。
命の灯をともして、日食の闇に、うごめく。



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