<ECLIPSE>

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花は、春の来るのを疑わない
この世で一番難しいことは、「信じる」ことだと痛感したのはいつの日のことだったろう。信じていても叶わないことや、どうにもならないことがあるのを知った時だったろうか。それとも、誰か信頼していた人に裏切られたと感じたときだったろうか。それもあっただろう。けれど、そのどちらでもない、本当はもっと違う何かを信じられずにいたのではないだろうかと思う。

信じることは、一瞬の思考や約束の言葉ではなくて、行いである。一貫した継続的な行い―信じようとするのでなく、信じまいとするのでもなく、憧れを抱きつつ、変わらぬ日々のことごとを、立派にやりとげること。特別な言葉を綴ろうとせず、平易な言葉で語ること。自らの弱さを押し付けずに、狭間で耐え抜くこと。すべてのものの幸せを、祈ること―忍耐のいる、しかしとても美しい行為だと思う。なぜなら、信じることなしに生きてはいられないと思うから。

咲き誇る花を見ると、その率直さと素直さに心打たれる。太陽に向かって真っすぐに伸びる向日葵。春を待って、頑なにつぼみを閉ざす桜。生き物が、まっすぐ光に向かっていく姿は、なんて清々しいのだろう。彼らはただ、風に吹かれて、雨を浴び、光を求め、散っていく。そこには、疑う余地のない厳格な美しさ、強く朗らかな命がある。彼らがその様に美しいのはきっと、信じること、深く信じることに由来しているのではないだろうか。私は以前、春になるといつも息苦しくて仕方がなかった。春という季節はすべてがみずみずしくて、あまりにも輝きすぎていて、圧倒的ないい香りと美しさに耐えられなかったのだ。でもその濃縮された空気は、人間と比べて悲しいほどに、彼らが信じるものたちだからなのだと思う。

何かを信じようとするとき、人は既に疑っている。彼らのように真っすぐ生きることは確かに難しい。けれど、不完全で十分なのだと思う。信じようとして信じるのも、ほんの少し疑ってしまうのも。人間と人間が付き合うと些細なことから猜疑心が生じる。それで、騙されないように、人を欺いてみたり、傷つくのが恐いから、どこかで自分をセーブしたりする。それは、悲しいかな、つまるところ利害を意識しての行為なのだろう。競争や駆け引き、損得勘定をすることが悪だとか言うつもりはない。けれど、もし「信じられない」ことで、弱気になって悲観的になって、歪んでしまっているひとがいたら、私はその人を深く信じようと思う。人間の不完全な心でもって。

疑って自らを貶めるよりも、信じて虚偽に殺されることを願う。

真の虚偽は真だから、時にひとを破壊しさえする。
けれどこれを怠れば歪んでしまう―


それで、紆余曲折しながら、真っすぐ生きる
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☆Author: 久美子
生まれ変わるなら、星か鳥になりたいと思う。
地上に「愛」が存在するならば、すべてを愛し、すべてに愛されたい。
命の灯をともして、日食の闇に、うごめく。



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