<ECLIPSE>

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突然さしたるきっかけもなく気がつくことがある

わたしは自由だと


わたしの見逃している世界がたくさんある

そんな世界の住人を見つけると

純粋にうらやましい


彼 彼女 またはそれのもっているものは

地位 お金 足跡 希望 またはその他のその他ではなく

彼は彼の空を 彼女は彼女の風を

光を 生きているのだから


でも 私は自由なのだから

きっと、いつか見つけられる
















| 未分類 | 17:50 | トラックバック:0コメント:0
最近、自分で思っていたより私が弱かったり強かったりして、予想を裏切られることが多い。私のやっていることはたぶん、半分仕事で、はんぶん遊び。大袈裟な大義のために生きているわけではないし、忙しいといいながらも自由なのだし、世界にはもっと辛い思いをしている人も、頑張っている人も、これ以上ないくらい努力している人もいるだろう。私はいつも自分にないものを欲しがって、世の中の不公平を嘆いてみたりもして、身の置き場のない自分を責めてみたりする。例えば私から今やっていることを取ったら、何が残るだろう。ただでさえ説得力のない、哲学の私への痕跡のようなものを取りあげたら、私は一体何ができるだろう。選んでしまった自覚も、依存している認識もないまま、あまりにも疑いなく歩いてきてしまったことに対して、いまさらになってはじめてそんなことを問う。形になっていないのなら、まだ存在していないのなら、あきらめることもできるだろう。たぶん、私は何を失ったかなんて、気がつくことはないだろう。手に入れてから、もしこれを失っていたらと思うことはあっても、手に入らなかったものを、たぶん私は一生、それがどのくらい貴重なものだったのかも、またはそれが予想外に些細なものだったのかも、知ることはないだろう。

きっと私は、予想もつかないくらい無菌室のような状態にあるから、そんなふうに考えられるのだろうと思う。もし何らかの形で、本を読むことや考えること、書くことなどが不可能な状態になったら?わたしは何を後悔するだろう。日常の他愛もないおしゃべりや、意味のないようなやりとりや、何気なく過ぎていく、家族や友人との日々を愛する私は、果たして今以外の生活状況を選ぶことができたのだろうか、または選ぶべきだったのだろうかなんてことを考える。今のわたしは、間違いなく以前のわたしが望んでいた私であるはずなのに。

私はいったい、何と闘っているつもりなのだろう。
私にはいったい、何ができるというのだろう。


つくづく思うことは、強くなりたいということ。そして私の強さも優しさも、そしてきっと弱さも、私の愛するひとたちからもらったものだということ。私の生きているこの一日は、何ものにも変えがたい価値がある。それは彼らが、たぶん、私と同じように悩んだり泣いたり笑ったりして、同じ一日をめぐっているから。とりあえず今日はこころを楽にして、たくさんもらったエネルギーを集中しよう。



















| 未分類 | 20:24 | トラックバック:0コメント:0
ほとほと自分勝手なわたしがここまでやってこれたのは、私を支えてくれている人たちのおかげ。数年前は怯えていたし、何かを欲しがってばかりいたし、冷たい壁から離れられずにいた。自分ひとりで世の中に立っているつもりでいた。

ただひとつ、盲目的に信じていたこと。それは漠然とした幸せだった。たぶん、こころの奥で、私は一瞬もそれを疑ったことはなかった。大人になることに悲観的な態度で抵抗していても。信じるというひとつの動作がいつもわたしを導く。私は会うべきひとに出会う。私は自分がやるべきことをやっている。

本当に欲しいものと、本当に楽しいことと。そういうものがわかると、幸せ。

時間とか空間の括りなんて問題にならない。

疑うことにメリットはない。










| 未分類 | 23:46 | トラックバック:0コメント:0
私のことばは吸い取られていく、何気ない日常のおしゃべりに、日課の原稿書きに、そしてたぶん消化作業のような自己問答に。近頃のわたしは、絶望してもいないし、憤ってもいないし、閉じてもいない。何かを欲しいと思うのも、一時的なものだと分かっている。だけど何もかもに飽きてしまったとかいうわけじゃない。短期的な欲望では欲しえないようなもの、そういうものが欲しいと思うようになっただけだ。私たちはいつも、決して私たちの感知することのできない「連鎖」の影に生きている。なぜ争いが繰り返されるのか、なぜどうしようもない無気力や倦怠にとらわれてしまうのか、なぜわけもなく落ち込んだり、人に優しくすることができなくなったりするのか。ほとんどの人間は自分の心がどう動くかを知らない。怒りや悲しみ、喜びや思考停止がどこから来るのか知らない。そしてやはりほとんどの人間が、そういった感情がどんな風に他人に伝わっていくのかも知らないのだ。かくいう私も、もちろんよく分からない。けれど、そんなどうしようもない輪を繰り返し生きていく毎日を、どうやって幸せに過ごすべきなのか、その技術を知りたいと思う。社会に敷衍しているほとんどの言説は、事実であり、そして誰かに都合のいい言い訳である。なくてはならないものであり、無効にすべきものでもある。私が幼い頃から、そして私が生まれるずっと前から繰り返されてきた「・・・とはいっても」、私はその接続詞?を嫌悪し、そしてのちに愛することも学んだ。そして今までほんのわずかずつ変化しながら、絶え間なく繰り返されてきた毎日がずっと続いていくことを願っている。私がこの世界からいなくなったあとも、例えば未来が決定的に暗いものだとしても。私は根拠のない、このほどんど本能的な願いを、たぶん捨てることができないだろう。それは言うなればたぶん、私の欲望なのだ。




































| 未分類 | 21:37 | トラックバック:0コメント:0
執着とか 焦りとか 羨望とか 無力感
偽りとか 無理強いとか 虚しいとか 我慢

何も変わらないとわかっていて
引きずられる

そういうものすべて 乳白色に溶けてしまえばいいのに

ハムスターがまわす
あのカラカラの思考回路

価値なんて言葉すら無効にする
身を貫くほど美しいものを探している


たぶん 美しくなりたいから




探してる答えはどこにも書かれていない
それはまだどこにも書かれていない

果てしなく続くエンドロール


そこには私の名前もなければ
たったひとつの 隠された道しるべもない



















| 未分類 | 06:28 | トラックバック:0コメント:0
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PROFILE

☆
☆Author: 久美子
生まれ変わるなら、星か鳥になりたいと思う。
地上に「愛」が存在するならば、すべてを愛し、すべてに愛されたい。
命の灯をともして、日食の闇に、うごめく。



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